見習いドクター、患者に学ぶ―ロンドン医学校の日々

医療問題は高齢化社会や医療サービスの低下、さらには医師不足といった社会問題にまで発展している。この医療問題は「医療とは何か?」という根本的な問題にまで問われており、対応もそれによって分かれている。

で、本書の話になるが、本書は著者自身がイギリスの医学教育に触れ、学んだことを綴ると共に、日本における医療問題の解決へのヒントを提示している。

第一章「命名の日」
イギリスの慣習によって新たに名前がつけられるのかな、と思ったのだが、実はそうではない。著者の名前が読みづらいために英語のミドルネームを名付けられたと言われている。従ってミドルネームを含めると「林・○○・大地」となるが、この○○については本書の核心に入ってしまうのであえて触れないで置く。

第二章「解剖実習の興奮」
「解剖実習」と言う授業があり、著者も受けたことを綴っている。当然人(と言うよりも献体された死体のこと)を解剖して体内のことを実際に触れる、あるいは見て学ぶのだが、血を見るのが嫌いな人、あるいは人間の体内を見るのが苦手な人にとっては気を失うという。実際に著者が通った医学部でも毎年1~2人は気を失うのだという。このことは本書の冒頭にて触れられている。

第三章「患者中心の医学教育」
日本の医学教育とイギリスの医学教育の最大の違いとして本章のタイトルがある。用語を学んだり、技術を学んだりするだけでは無く、実践形式で患者と対面する、あるいは患者の状況をシミュレーションしてどのような医療をほどこす、あるいは患者とのコミュニケーションをとることで学びが実践につながる。で、本書の中で海外留学におけるイロハについても言及している。

「日本人が海外の英語学校や大学などに留学する際に、とかく犯しがちなミスは、ただじっと静かに先生の言うことを聞いてしまうことだ。分からないことがあったら、たとえ相手が偉い教授先生だろうと、どんどん質問してよいのである。講義中に良く分からなかったと思えば、もう一度説明してください、とお願いしても決して失礼とは取られない。それだけ真剣に講義を聞いていたのだとして、その教授先生も熱心に、それこそ聞き手が分かるまで教えてくれる」(p.62より)

質問のことについて言及しているのだが、この文章を見て慶應義塾大学准教授のジョン・キム氏が著した「媚びない人生」のある文章を思い出す。

「ハーバード大学で学んでいたときに、驚いたことがあった。授業の中で学生が質問の手を挙げるのだが、なんとも基礎的なことを聞くのである。これが、世界で最も優秀な学生たちなのか、恥ずかしくないのか、と私は感じたのだが、それほど単純な話ではないことに後に気付かされることになった。
 そうした質問をする学生たちは、他者の無知では無く、自分の無知を大事にしていたのである」
ジョン・キム『媚びない人生』ダイヤモンド社 p.66より)

エリートであればあるほど、自分自身が「無知」であることを大事にし、質問や発言を通じて、体型的に学ぶことができるのかもしれない。それが日本人に備わっているのかというと、むしろ「恥ずかしい」という感情からできないという。

第四章「初めての診察」
私も本章を読んでビックリしたのだが、医学部に入ってからいきなり臨床実習があるのだという。とは言っても実際に診療をすると言うわけではない。第三章にもあるとおり「患者中心の医学教育」であることから、患者とどのようにコミュニケーションを取るのかを重きに置いている。そのための「臨床実習」であるという。

第五章「クリニカル・パートナー」
本章で語られる「クリニカル・パートナー」という制度も実習を通じて、学生と患者とのコミュニケーションを図るものである。この「パートナー」が非常に重要でコミュニケーションは患者とばかり取るものではなく、時として医師同士、看護師などとのコミュニケーションを取ることがある。それを学ぶために学生がペアを組んで授業を行うというものであるという。

第六章「エックス線写真を診ずして患者を診よ」
「俺達は患者を診るのであって、エックス線写真を診るんじゃない」(p.114)
日本もさることながら世界的にも医療技術は進歩している。それに過信してしまい、患者のことをなおざりにしてしまい、病気を治すということだけにフォーカスしがちになってしまう。しかし医療はそうではない。医療技術に頼りっきりにするのでは無く、患者の状態がどうであるのか、コミュニケーションを取った上で直すと言うのが肝心である。そのためにこの言葉が投げかけられている。

第七章「前へ!」
医学生の中では新しい、もしくは珍しい体験をすることがあるという。採血にしても、臨床実習にしても、「想定外」など教科書では学ぶことのできないことも知る事ができるし、何よりも経験を得ることができる。著者はそれについて積極的に食らいつき、体験し、血肉とした。

第八章「患者の役に立つと言うこと」
患者のために役立つこととは何だろうか、そのことを臨床実験や実習を通じて著者は常々考えさせられたのかもしれない。その中でも異なる国の人との会話も同様である。ごく当たり前のことのように思えるのだが、本章は著者自身が医学生の頃に最も「心残り」に思ったことを絡めて綴っている。

第九章「最後の関門」
「最後の関門」は言うまでも無く卒業試験である。卒業試験は理論・実践・体験で得たこと全てを結集して挑まなければならない。そのため頭ばかりでは無く、体力も要する。そのため著者自身も最終試験は合格したものの精も根も尽き果てたという。

著者自身の医学生の体験談であるのだが、この体験談の中で日本の医療界では考えられないことも行われている。もちろん教育体系も異なっており、その中で日本における教育にも参考になる様な箇所もある。医療教育のみならず、日本の教育、はたまた日本人としてどういう姿勢を持つべきか、そのヒントがここに詰まっている。