世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析

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「ヤンキー」というのは死語なのかと一瞬思ってしまったのだが、最近では「ヤンキー世代」と呼ばれる様な本も出てきており、まだまだ死語では無い事を思い知らされた。
そもそも「ヤンキー」とは何なのか、調べて見ると、

「(もとアメリカ合衆国北部諸州の住民、特にニュー‐イングランドの住民を軽蔑的にいう)
 (1)アメリカ人の俗称
 (2)アメリカ風の文化・生活を有り難がる者
 (3)日本で、不良少年・少女をいう俗語」「広辞苑 第六版」より)

とある。本書では(3)の意味として取り上げられるのだが、そもそもヤンキーはどのような精神があり、歴史を紡いできたのだろうか、そのことについて取り上げられている。

第一章「なぜ「ヤンキー」か」
本章の冒頭に2009年11月12日に挙行された「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」について取り上げている。もっと言うとこの年の年末に行われた紅白歌合戦の大トリとして当時還暦を迎えた矢沢永吉が登場したことも取り上げられている。その2つが共通して著者は「ヤンキーが席巻する時代になった(p.6より)」と分析している。
そもそも「ヤンキー」と言う言葉は明治時代から使われた「バンカラ」が、1970年代に「ヤンキー」という言葉に変化して使われ始めたのだが、時代と共に「ヤンキー」のファッションスタイルや文化は変化している。

第二章「アゲと気合い」
「アゲ」と言う言葉は最近できた単語であるのだが、元々は2ちゃんねる語で「age」と言うところから作られたのかな、と推測していた。いつ頃使われたのか良く分からないが、かつて紅白歌合戦で話題となったDJ OZMAが「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」という曲があるのだから、決して一般層に広がっていない、と言うわけではない。

第三章「シャレとマジのリアリズム」
本章の中心となるのが「音楽」である。取り分けロックやJ-POPにもヤンキー文化が根付いているのだが、かつては矢沢永吉らの「キャロル」、時代が変わってBOOWY、そして現在ではB’zや氣志團といった所にまで言及している。音楽的な毛並みは異なるものの、ヤンキー文化、もとい「ヤンキー音楽」として「シャレ」「マジ」「リアリズム」の3つの要素を取り入れつつ、考察を行っている。

第四章「相田みつをとジャニヲタ」
両方を比較すると言ってもなかなか比較するのは難しい。しかし、ジャニーズのアイドル達には様々な語録があり、それと歌人の相田みつをの語録とリンクする部分があると著者は分析している。

第五章「バッドテイストと白洲次郎」
日本の文化は「和洋折衷」と言う言葉が似合うのかも知れない。明治時代以降、教育や国家システムなどが生まれたがそれは西欧諸国のモデルを参考にしたものであり、食文化にしても牛鍋が生まれたり、洋食が食べられたり、その洋食をもとにオムライスなど日本で洋食が誕生したりした。その一方で西欧文化が取り入れられたことによって「ヤンキー」文化もできてきたのだが、それが「バッドテイスト」になることもある。本章では木村拓哉の言動や行動と「プリンシパル」という異名を持つ白洲次郎の共通性について論じている。

第六章「女性性と母なるアメリカ」
「女性性」と言う言葉は結構特殊のように見えてしまう。本章を見てみると、

「知人である作家・赤坂真理によれば、“ヤンキーは女性的”なのだそうだ。
(中略)彼女の説明によれば、ヤンキーたちはとにかく「関係性」を大切にする。上下関係のみならず、異性との関係や、とりわけ家族を大切にする傾向がある。こうした関係性への配慮が、彼らを女性的に見せるというのだ」(p.108より)

という。作家の主張を紐解いていくと「男性的」と言うと関係性よりも自己主張を重んじるものの、「女性的」の場合は仲間意識を大切にすることにある。ただ、ヤンキーと言っても小説やマンガ・アニメに出てくる様な孤高の存在もいるのだが、暴走族やレディースの様にヤンキーが集団で活動する場合もある。そのことを考えると後者のことを赤坂氏は分析しているのではないかと考えられる。

第七章「ヤンキー先生と逃げない夢」
「ヤンキー先生」は言うまでも無く、現在衆議院議員として活躍している義家弘介氏のことである。義家氏が自ら綴った自伝が2003年に出版され、話題を呼び、ドキュメンタリー作品になったり、連続テレビドラマになったりした。後に自らの母校である北星学園余市高等学校の教師を退職し、国会議員として活躍しているのだが、そもそも教師になった時も、国会議員になった時も「逃げない夢」があったのだという。

第八章「「金八」問題とひきこもり支援」
「3年B組金八先生」は2011年にピリオドを打ったのだが、教育問題について、人を育てることについて大切なことを説いたドラマとして取り上げられることが多い。その一方でアンチも存在しており、アンチ作品として舞台作品・マンガ作品といて取り上げられる程である。そしてもう一つ本章の中心で取り上げているのが「ひきこもり支援」であるのだが、これは実際に支援を行った人物として長田百合子と戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏を取り上げつつ、金八先生とともに「ヤンキーのリアリティ」の共通性を論じている。

第九章「野郎どもは母性に帰る」
前章の引き続きであるのだが、引きこもりと暴力が結局の所「母性」に行き着くのだという。長田百合子のことで取り上げられているのが、2006年4月に起こった「アイ・メンタルスクール監禁致死事件」という事件である。その事件の容疑者が、長田氏の実妹だったということで長田氏を取り上げられている。他にも戸塚ヨットスクールでも死亡事件が何度も起こっており話題となった。
著者はその「暴力」こそ、一種の「母性」として表しているのではないかと分析している。

第十章「土下座とポエム」
ヤンキーを扱ったマンガは数多くある。古くは「ろくでなしBLUES」や「カメレオン」「男一匹ガキ大将」といった作品も取り上げられる。本章ではヤンキー漫画について一つ一つ取り上げられているが、人気作品である「ジョジョの奇妙な冒険」や「闇金ウシジマくん」など個人的にヤンキーに見えなかった様な作品も取り上げられている所が面白かった。

第十一章「特攻服と古事記」
ヤンキーファッションというと、よく言われるのが「特攻服」である。この特攻服と古事記との関連性にも疑問符を覚えてしまうのだが、「ケガレ(穢れ)」と言ったものが存在するのだという。「特攻服」と「ケガレ」には「換喩的表現(あるものを表すのに、これと密接な関係のあるもので置き換える表現方法)」を用いて考察を行っているのが本章である。

以前「ヤンキー」について文化や歴史について取り上げたことがある。自分自身が生真面目な人間と言われているのだが「ヤンキー」に憧れを持っていたこともあってか、そういった本が好きになってしまった。そのため本書にも手を出したのだが、文化とは違った歴史と精神の変化についておもしろく読み解くことのできる一冊であった。

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