大丈夫、死ぬまで生きる 碁打ち 藤沢秀行‐‐無頼の最期


今から5年前、ある碁打ちがこの世を去った。
その男の名は、藤沢秀行
囲碁界最高峰のタイトル戦・棋聖戦で6連覇を達成し、名誉棋聖の称号を得るなど華々しい活躍を見せたのだが、「無頼」とこれほどまでに体現した人物であり、飲む・打つ・買うと言う言葉をこれほどまでに表現した人物は存在しない。しかしその一方で、囲碁の指導は国内外問わず行っており、世界的に活躍した人の中には薫陶を受けた人も少なくない。
破天荒な人生を送りながらひたむきに囲碁とともに生きてきた碁打ちを支えた妻が秀行の晩年をどのように過ごしてきたのか、本書は妻の視点から綴っている。

第一章「いのち燃え尽きるとき」
「これだけは伝えたい。
 強烈な努力が必要だ。
 ただの努力じゃダメだ。
 強烈な、強烈な努力だ」(p.289より)

秀行先生の絶筆である「強烈な努力」。その意味は、上記の理由であるが、そもそも日本の棋力が中国・韓国の棋士たちに後塵を拝してしまったことを憂いての言葉である。晩年は介護状態にあっても、反発するなど「秀行らしい」人生だった。

第二章「三度がんを蹴散らして」
現役棋士の頃から秀行先生はがんを患っていた。そのがんを抱えながらも最年長タイトル(王座)を奪取・防衛を行うなど、第一線で活躍しながら1998年に囲碁棋士を引退した。がんを患いながらも囲碁に打ち込む姿、そしてがんを患った師匠を助けるために国内外の棋士達が動いた姿も描いている。

第三章「老いの坂道」
引退後、秀行先生の病状は悪化の一途を辿りながらも、妻である著者は介護をしながら支えていた。よく言われる「老老介護」の姿である。介護をしながらも「勝負師の妻」を上梓したり、夫である秀行先生も「野垂れ死に」を出版した。

第四章「いつのまにやら「要介護」」
病院への入退院を繰り返し、がんだけではなく骨折や脳挫傷も起こしてしまい、ついに「要介護2」と診断され、ヘルパーの介助を受けることになった秀行先生。他にも入院生活を送る日々もあるなど、床に伏せる日々が続いた。それでも秀行先生は秀行先生だった。

第五章「家で過ごした最後の日々」
長期的な入院が終わり、ようやく退院したのは秀行先生が亡くなる3ヶ月前のことだった。しかし自宅でも自由に動けるわけではない。第四章にも書いたとおり「要介護」になっている状態であるためヘルパーが半日ほどつくなどの状態だった。

第六章「遊びをせんとや 生まれけむ」
飲む・打つ・買うの三拍子が揃っていた人生だったのだが、秀行先生の若い頃は本当の意味で「囲碁」に没頭していた人生だった。酒も遊びも全くやらない、「破天荒」という文字を体現した秀行先生とは思えないような、生真面目さが本章の写真にあった。

第七章「酒と博打と女と借金」
その生真面目さの箍(たが)が外れたのは秀行先生と結婚してから2年ほど経ったときのことである。それまで飲まなかった酒を飲むようになり、家庭内暴力をするようになっていった。それと同時に競輪などの博打に覚え、今では想像できないほどの浮気も行ってきた。最も有名な話として、先日「生き方の流儀」という本で米長氏の女性関係について米長氏の妻が著者に相談をしたことを書いた。しかし上には上がいる(?)という言葉が当てはまるのかどうか分からないが、米長氏は女性関係で数日帰ってこない日が続いた一方で、秀行先生は浮気で三年間家に帰らなかったという。(Wikipedia、及び「野垂れ死に」より)
そのような事でだんだんと借金が膨れ上がり、著者も内職をするなどをして辛うじて生計を立てていた。

第八章「素顔の秀行」
秀行先生と言えば「秀行塾」が有名である。生前、毎年一度秀行先生主催の囲碁の合宿をしていた。そこでは秀行先生の門下生はもちろんのこと日本中の囲碁棋士、さらには中国・韓国の囲碁棋士も参加するほどだった。受講料は無料だが、教え方は容赦しなかった事で有名である。競輪も引退後続けていたのだが、囲碁棋士もさることながら、競輪選手にも愛着があり、何らかの形で恩返しをしたい気持ちがあった。

秀行先生の功績は日本だけではなく、韓国・中国の棋士達にも大きな影響を受けた。かつて日本だけだったプロ囲碁の世界を、本当の意味で「世界」にまで押し広げたと言える。第八章の動画にもあるのだが「秀行はバカだ」と言われても、囲碁の可能性を広げつつ、破天荒と言われながらも、囲碁を愛し続けてきた秀行先生と、先生を支える妻の群像がここにあった。

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