米国製エリートは本当にすごいのか?

最近ビジネス書を見たり、雑誌を見たりすると諸外国の有名大学、もしくは大学院を卒業している方を見かける。そう言う方々はエリート教育を受けており、自分たちよりもすごい印象を持ってしまうのだが、果たしてそうなのだろうか。

本書の著者はそれについて疑いを持つ一方でそもそも米国の一流大学はどのような教育を受けているのか、そして学生はどのような方々なのだろうか、そして日本人のエリートはこれからどこに向かうのだろうか。本書はそのことについて書かれている。

第1章「米国の一流大学は本当にすごいのか?」
アメリカの大学はハーバードやカリフォルニア工科、スタンフォードやブリンストンなど世界大学ランキングのトップに入る大学もけっこうある。もちろんアメリカによってはアイビーリーグなどそれなりの財力がなければ入学ができない所も存在する(厳密に言えば入学条件に階級はないが、学費が卒業までに20~24万ドルほどかかってしまうことから一般庶民には手が出せない)。著者自身もスタンフォードの大学院に留学した経験があるのだが、実際には日本の大学と雰囲気的な差は無いのだという。あるとしたらインプット・アウトプットの量が桁違いに多いのだという。

第2章「世界から集うエリート学生の生態」
日本でも東大など一流大学に卒業しても将来安定した仕事に就ける、あるいは大出世できる保証は全く存在しない。もちろんアメリカでも同じことが言える。とはいえアメリカでも「学歴社会」が日本以上に浸透しており、トップ企業の多くはトップスクールの出身者であるという。

第3章「経済・ビジネス―資本主義への愛と妄信」
本章で「経済・ビジネス」とした理由が以下の通りである。

「日本の大学といえば、文系の一番人気は法学部です。偏差値が高いうえ、就職や世間の受けがよいこともあり、法律に興味の無い高校生さえ法学部を志望しがちです。しかし、米国の学部に法学部はありません。ロースクールは大学院にしかないのです。」(p.70より)

実際に日本では2000年代前半あたりから「法科大学院」の構想が議論され、実を結んだのは後半であるのが、このモデルはアメリカのロースクールを適用したものである。実際にアメリカでは大学事情から「ロースクール」が誕生したのにもかかわらず、日本では今となってはなぜ法科大学院ができたのか分からなくなってしまっている。
それに関してはここまでにしておいて、アメリカの大学で最も人気のあるものは経済学を重視している。もっともアメリカの大学でも経済学部の人気は高いのだが、これには資本主義に対する愛があるのだという。

第4章「歴史―歴史が浅いからこそ、歴史にこだわる」
アメリカの歴史は浅く、240年ほどしかない。しかしアメリカの大学生は歴史に対する関心は非常に高く、人気があるのだという。しかも勉強するのは古代史、というよりも近現代史と言った所から始まるという。

第5章「国際政治・インテリジェンス―世界一視野の広い引きこもり」
よく「日本人は内向き」と言われているが、著者に言わせれば米国の方がもっと内向きなのだという。最近のアメリカ情勢を見ると確かにそうかもしれない。
本章ではアメリカが抱える政治事情と国際関係について記されているが、本章だけは大学事情からちょっと離れて外交問題と行った所に発展しているので毛並みが異なっている。

第6章「日本人エリートの未来」
日本人の留学離れが著しいと言われている。取り分けアメリカへの留学はドンドン減っており、今ではアジアの中でも比較的少ないという。しかし著者は減るのも無理もなく、もっと言うと西欧圏はそんなことを嘆くことはないのだという。

日本は多かれ少なかれ「学歴社会」と言えるのだが、「アメリカ有名大学卒=エリート」とはなかなか言えない。しかし有名大学で学んだことをビジネスの場で活用し、それが日本にとってもプラスとなれば当然その方は有能と言えるのだが、有名なものでも無名なものでも生かすも殺すも自分次第と言えるのかも知れない。