奇跡のごはん

本書は著者自身が大病を患ってから食事療法を通じて、現代医学で治せない病気から奇跡的に回復し、食の大切さを日々伝えるために、日々活動している。病院でもよく「食事療法」を行うところも聞くのだが、実際には「食事療法」だけではなく、「食育」そのものについても本書は言及している。自ら起こした奇跡から、食の大切さと重要性についてを説いた一冊が本書である。

第一章「味気ない病院食」
著者が原因不明の大病を患ったのは16歳、高校1年生野時である。普段通り高校生活を送っていたのだが、風邪のような症状を患い、他にも血尿などが出るようになった。病院を転々として風邪と言われたが、いっこうに治らず、おかしいと思ったときに再度病院に行くと入院することに、検査入院だったのだが、入院自体も長引きようやく出たのが、
「結節性動脈周囲炎(けっせつせいどうみゃくしゅういえん)」
という病気である。これは動脈の血管にコブのようなものができる病気で、現在も確実な治療法は存在せず、難病指定され散る病気である。

第二章「母の食事療法」
治療法はないものの、「食事療法」により病気の進行を遅らせることができるとアドバイスを受け、食事療法がスタートした。本章のタイトルに「母」も含まれているのには理由があり、母自身も持病により、食事療法をするように言われていたためである。そのため母娘の二人三脚で食事療法をする事になった。当然摂取量のコントロールをすることも親子共々やる必要があった。当然調節をするとなると難しい所もあるが、母娘の知恵で乗り切った。

第三章「「食」に関わる仕事へ」
食事療法はずっと続いて行ったが、当然親離れをする時期に入っていった。その中で食事療法の体験から「食」に携わる仕事をしたいと思い、親元を離れ単身福岡へ移住した。

第四章「家メシがつむぐ絆」
食事療法自体は16歳から7年半にわたって行われ、病気を克服した。福岡で独立して食の仕事に携わったのは著者が23の時の事である。独立後はカフェなどで働きながらも「家メシ」づくりに勤しんだ。家メシを作りつつも新しいレシピを考案し、同僚に食べさせたりもしたのだという。そうしたことによって様々な絆をつくることができた。しかも大病を患ったときの食事療法で社会復帰したことが記事になり、本になる事ができたことにより、仕事ばかりでは無く、本当にやりたかった食にまつわる仕事もつけるようになった。

第五章「「料理」から「ごはん」への階段」
料理修業に励み、様々なごはんをつくっていきながらも、一つの「恋」に巡り会うことができた。その恋は、紆余曲折はあったものの、結婚にまで至ったという。その紆余曲折の中で様々なレシピを生み出していったのだが、本章ではそのレシピを余すところなく紹介している。

第六章「ごはんでつくる愛がある」
結婚してからも病に悩まされた著者だが、これまでの人生は「食」だけではなく、「食」を通じて人と繋がっていった事を思い出していた。本章のタイトルにもあるとおり、「ごはん」から作る事のできた「愛」も育まれ、人の輪となり、そして大病も克服することができたのだから。

著者は今もなお病と闘いながらも、新しいレシピをつくり、食や食育の重要性を説く講演を行っている。食を通じて命が救われ、病を乗り越え、人の輪を作り、愛も育むことができたその著者の姿は今日もまた、人から人へと伝わっていく。