お座敷遊び~浅草花街 芸者の粋をどう愉しむか~

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浅草で「遊び」というと色々と出てくるのだが、中には「お座敷遊び」と言うのも存在する。「お座敷」に近いもので言うと、京都の花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、宮川町)や大阪の花街(北新地、南地(ミナミ)、堀江、新町)などの「お茶屋」において、食事をしながら芸妓を呼んで客に芸を披露したり、飲食をさせたりするのと似ている。(最も近いものとして「待合」というのが存在する)

お座敷とお茶屋両方に存在する決まりがあり、それは「一見さんお断り」というもの。馴染みの客の紹介で無ければ入ることができない。そのため格調高いと言える所であるが、本書は浅草におけるお座敷遊びの醍醐味を余すところなく紹介している。

第一章「お座敷遊び・いまむかし」
戦後まもなくの頃まではお座敷は盛んに行われていた。かつての財閥と言われた人達から、戦前までだと軍の「将校」と呼ばれる人達まで親しまれていた。私の趣味である落語の歴史の中にも「お座敷」にて一席を伺い、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍した方がいる。その中に八代目桂文楽や六代目春風亭柳橋がいる。では、お座敷でどのような事をやっていたのか、もちろん芸子の芸を楽しむのもあるのだが、芸子と一緒に馬跳びや椅子取りゲームと言ったものまでやっていたのだという。

第二章「花柳界、これが芸者のたどる道」
浅草における「芸者」の世界のことを「花柳界(かりゅうかい)」と言う。これは何なのかと言うと、元々は中国大陸の言葉であり、遊女のことを指していた。その遊女がいたところを「柳港花街」や「花街柳港」と言われたが、この言葉がいつしか日本に伝来し、「花柳」と言う言葉が芸者や遊女を指すことが出てきた、そしてそれが一つの世界となり「花柳界」と呼ばれる様になったわけである。花柳界に入るに辺り置屋(芸人や遊女を抱えるお店)に所属して、初めて花柳界に入ることができる。身分も成長によって「仕込みっ子」「半玉」「一本」「自前」という順番で成長していく。「仕込みっ子」は簡単に言えば芸人になる以前の見習い、「半玉」は子供の芸者の事を表す。半人前の芸人と言うことも言える。「一本」はようやく一人前になる。推測だが「扇一本で芸ができる」という由来があるのかも知れない。そして最後は置屋を出て、自分の置屋を建てると言った事ができる「自前」となる。
本章ではそういった芸者の成長についても書かれているほか、しきたりや習わしと言った事も記されている。

第三章「「芸」を売る、「夢」を売る―浅草芸者の心意気」
もちろん「芸者」は芸人であるため「芸」で売っていかなければならない。もちろん芸者が活躍する置屋も日常とはかけ離れた場であるため「夢」を売ることにもなる。もちろん芸者は「仕込みっ子」の時代から芸をたたき込まれるが、それは芸者として引退するまでずっと続く。芸に休みは無いし、畑違いであるが六代目三遊亭圓生の語るところの、

「芸というのは砂の山。いつも少しずつ崩れている、私の芸はここまで上がったと思っても、なにもしないとずるずる、ずるずると落ちてくる。そこで、砂が崩れる分だけ稽古をして、上ってやっと前と同じ芸なんだ。だから、もし芸を上げようと思ったら大変だ。砂が崩れる以上の努力で上っていけば、その分だけ少し芸が上がる。何もしないと芸は下がる」リンクより)

と言う言葉があるように、芸には一生磨いていかなければならない。

第四章「芸者と旦那の不思議な関係」
ここでお座敷の「一見さんお断り」の理由が出てくる。これには諸説があるが、店の格調、さらにはお客の室を維持するために、お客を選ぶ事から、お得意様であるなじみ客とその方の推薦する方しか入れないことが由来である。他にも本章のタイトルにある芸者と旦那との関係についても取り上げられている。

第五章「最後の「箱屋」」
「箱屋」と言ってもダンボール売りのことでは無い。これは花柳界にて別名「箱廻し」とも呼ばれ、

「芸者の三味線の入っている桐の箱を、芸者の出先きへ持ち歩くことからの言葉」(p.150より)

と表す。いわゆる荷物持ちと言ったような存在、芸能人で言うとマネージャーと呼ばれる存在を指す。戦後間もない頃までは「箱屋」は数多く存在したのだが、現在ではものの数人しかいないのだという。

第六章「実践編・現代お座敷遊び入門」
そして最後はお座敷遊びを知らない方々のための入門である。ある時にお座敷遊びに誘われた時というのもあるのだが、最近では「一見」でも、一般客向けのイベントなどでふれあうことができる様になったという。そのイベントのために、どのような心構えを身につけるべきか、振る舞いを身につけるべきかを記している。

「遊び」というと人それぞれであるのだが、江戸時代から戦後間もない頃まで日本独特の「遊び」としてあった「お座敷遊び」は今もなお東京では浅草を中心に残っている。私たちの世界とはかけ離れた場所にいながらも、第六章で書かれている通り最近では、期間によるが、身近な存在となりつつある。その時に日本古来からある「お遊び」に触れてみてはいかがだろうか。

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