人生に座右の銘はいらない

私自身、座右の銘を持っている。ルネ・デカルトが「方法序説」の中で語った「cogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)」である。この言葉が後に「懐疑哲学」の礎となったのだが、私自身は物事を疑ってかかると言う意味合いで、座右の銘としている。実際にこうやって本を読むことが多く、それでいながら、対照的な思想の本にも手を出すことがあるので、疑ってかかってこないと、考え方そのものがあやふやになってしまう危険性を生じるために、座右の銘とした経緯がある。

私事はさておき、色々な人に「座右の銘」は存在するのだが、著者に言わせればそんなものはいらない、と喝破している。本書は人それぞれの悩みについて答えながら、座右の銘がいらないことについて説いている。

第1章「「働くこと」に座右の銘はいらない」
働く事への不安は色々とある。私自身でやりがいや働き方、さらにはその後の目標や、仕事に対する目的についての不安は絶えない。特に昨年の4月以降、新しい仕事が始まったときはまさにそうであるし、現在進行形でも悩みはある。その悩みについて時には面白おかしく、時には真剣に答えている。

第2章「「人づきあい」に座右の銘はいらない」
私自身人づきあいは苦手な方である。実際に他人への気遣いもなかなかできていない部分も多い。実際に人づきあいについてのトラブルも少なくなく、本当の所、人づきあいをどうしたら良いのか話からないと言うほかない。
それはさておき人づきあいに関して好きな人や嫌いな人、恋人、上司・部下、友人など様々な関係でいざこざが起こっている、あるいは悩んでいる方に対して答えている。

第3章「「生きざま」に座右の銘はいらない」
生きていればいるほど様々な悩みは生じる。もちろん年代ごとに悩みは変化していき、置かれている状況によっても違ってくる、「生きる」と言う言葉もそうだし、行動そのものについても一枚岩で語ることは不可能である。
生きることについての悩みは貯金もそうだが、就職や老後、性的嗜好、やりたいことなど様々である。

第4章「「恋だの愛だの」に座右の銘はいらない」
正直言うと、私は恋愛自体ほとんどしたことがない。しかし恋愛対象が人でなければ、本に対して愛情を持っているし、本の「浮気」も少なくない。それだけ本に対して「変態」である。
私事はさておき、恋愛にまつわる悩みというと、人生と並んで「お悩み相談室」ではつきものである。しかし恋愛感情だけではなく、結婚や婚活と言ったものも本章の悩みに含まれている。

第5章「「セックス」に座右の銘はいらない」
「セックス」に座右の銘はいらない、と言うよりもむしろ「いるの?」とさえ思ってしまう。自分自身セックスはこういうプレイでしかダメだとか、女性に対する接し方はこうあるべきだ、というような考え方であれば話は別だが。
セックスにまつわる悩みというと、セックスレスもあれば、処女・童貞、変わったプレイが好き、と言うような事が悩みとしてあるのだという。

第6章「「表現」に座右の銘はいらない」
私自身、書評を通じて文章表現を磨いているのだが、実際にどのような方向で磨いていけば良いのかまだまだ模索中である。文章表現そのものは正解がないだけに、自分自身の考え方や表し方を文章にどうやって表すのか、それは10年も20年もかかるような代物なのかも知れない。
文章もそうであれば、音楽もそうだし、さらには著者の専門である演劇でも同じである。もちろん著者も未完成だと思っているし、悩んでいる人もそれぞれの「表現」の世界で悩みを抱えながら生きている。

本書は自身のメルマガにある人生相談コーナーを一部加筆したものである。中でも「一部加筆したもの」については当ブログでは語られないが、松尾スズキ氏だからでこそ、加筆できる悩み相談を掲載している。
全体を読んでみると、座右の銘に関する相談がどこにあるのか分からないような気がした。実際に本書のタイトルにあるような悩みについて語っていると言うよりも、数多くの悩みを総合的に考えてみると著者は「もしかしたら座右の銘があるから悩んでいるのではないだろうか」と推測しているからこのタイトルになっているのかもしれない。