茶の湯の歴史

「茶の湯」、いわゆる「茶道」の歴史は千利休が創始した「わび茶」が有名だが、実際の所歴史を紐解くと中国大陸の歴史からずっとあるのだという。「茶の湯」や「茶道」というと、奥ゆかしく、敷居が高いと思われがちだが、現在に至っては世界中に広がりを見せており、もはや大衆でも茶道の様式は広まりつつある。もっと言うと茶道の流派自体も、有名な「三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)」を始め数えるだけでも2桁は存在する。もっと言うと先程の三千家以前に成立した流派もあるのだから、茶道の歴史を語るとなると長い歴史を紐解く必要がある。そこで本書である。本書は茶の湯、茶道の歴史を中国大陸から日本へ伝来してきた頃から紐解いている。

第一章「中国の茶と日本への伝来」
茶の湯が中国大陸から日本に伝来してきた。伝来した当時、中国大陸は「唐」の王朝だったため、日本では奈良時代~平安時代にあたる。しかし日本における茶は中国大陸に伝来したものもあれば、日本独自で生まれ・育てたという説があるため、確実に中国大陸から伝来したかと言われると難しい部分もあるのが否めない。それについては今後の科学的な研究や史料による研究で明らかになっていくであろう。

第二章「茶の湯以前」
茶道におけるお茶は「抹茶」を点てることがよく知られているのだが、抹茶自体が生まれたのは鎌倉時代に入ってからのことであり、栄西や道元によって薬として使われたことが始まりである。茶道における回し飲みが行われたのもこの時からであるので、そう考えてみるとよく知られている茶道の形ができあがったのはこの時代と言っても過言ではない。
さらに茶の湯の歴史を語る上でについて面白いのが室町時代に入ってからの「闘茶」と呼ばれるものが始まったときである。「闘茶」とは、現在で言う「利き茶」を用いて博打を行うものであり、飲んだ茶の銘柄を賭けるというギャンブルだったのだが、これが当時の大名の間で流行したのだという。

第三章「茶の湯の成立」
「茶の湯」と言うのが成立したのは室町時代後期になってからのことであるという。起点にしているのは、茶の湯を行うための茶室、あるいは小座敷ができたと言うのがこの時代だという主張である。他にも茶室における「勝手口」がいつ頃できあがったのか、他にも茶道における料理の歴史についても言及している。

第四章「茶の湯の大成」
茶の湯の大成を語っていく上で避けられないのが「わび茶」について武士たちに広めていった千利休の存在である。千利休も独学で茶道を身につけたというわけではなく、堺の町衆であった武野紹鴎(たけのじょうおう)によって師事し、わび茶の基本を学び、大成していったと言われている。その後「利休七哲」と呼ばれる弟子を育て上げ、茶道の歴史を紡いでいった。

第五章「茶道への展開」
とはいえ千利休が存命だった当時は、「茶道」の言葉そのものが広まったわけではなかった。茶道の言葉が生まれ、広がっていったのは江戸時代、徳川幕府第二代将軍・徳川秀忠の時代であり、茶を好んでいったことで、教養として必要なのではないかと思い、「茶道」として広げていき、後に1690年に山田宗偏という茶人が「茶道便蒙抄」という本を刊行したのが始まりとなっている。それから家元制の流派が次々と誕生し、習い事の一つとしても扱われ始めた。

第六章「近代の茶道」
明治維新の後、庶民にも茶道が広がりを見せた一方で封建的制度の恩恵を受けていた流派は財政的な困難に陥ってしまった。そこで各流派の宗家たちが茶道のすばらしさを庶民たちに広め、財界の目に留り、女子の教養項目として茶道を設ける事に成功した。その後は世界的にも広がりを見せ、茶人の人口は激減していると言われているものの、庶民たちの日常生活にも浸透している。

茶の湯の歴史を紐解くと思った以上に深いものであり、それでいながら紆余曲折の連続から大成していったと言うのが見て取れる。もしも華道など日本における習い事の歴史を紐解いていくとさらに面白いものが見えてくるかも知れない。