部長、その恋愛はセクハラです!

職場で生じている「セクハラ(セクシャル・ハラスメント)」は今もなお起こっている。企業の中には「ハラスメント防止」に関する研修が行われているのだが、それでもなお「セクハラ」などのハラスメントはなくならない。それはいったいなぜか、それは「セクハラ」の認識についての「差」が出ているため、誤解となったり、無意識でセクハラ行為をしたりしている。
本書はセクハラの傾向と防止法について提示・伝授している。

第一章「間違いだらけののセクハラ「常識」」
「うちの職場にセクハラはない」「自分のところは無関係」というようなことを聞く。しかし他人事にとらえてしまってはセクハラを撲滅はおろか促進させてしまうようなことになりかねない。おそらく他人事のようにとらえているような所は男性ばかりの職場と性別的に極端な所なのかもしれないが、「セクハラ」は異性のことばかりではなく、同性のものもあるという。

第二章「セクハラの大半はグレーゾーン」
「セクハラ」の定義は人それぞれ、であり、言葉一つだけで「セクハラ」ととらえたり、ボディタッチをしても「セクハラ」にならなかったりする。そう考えると世間一般で語られる「セクハラ」というのが何なのかわからなくなってしまう。しかし定義は存在する。それは、

「voluntary(自発的)であってもunwelcome(望まない)ならセクハラ」(p.37より)

である。つまりは女性が挑発的なファッション・言動・挙動をして、それが自ら望むようなことであれば、周囲がどういわれようと「セクハラ」にはあたらない。逆に、肩を「ポン」と叩くような周囲にはごく自然のしぐさでも相手に望まなければ「セクハラ」と言われる。しかもセクハラまがいのことをした人がごく普通の挙動をしたとしても、とらえ方によって「セクハラ」扱いにされ、認められないでいると、裁判沙汰にまで発展し、お互いに不利益をこうむってしまう、そんな社会になっているということも忘れてはならない。
さらに言うと、「グレーゾーン」と本章のタイトルで定義されている要因は、はっきりと自分自身が「こうしてほしい」と望んでいるものでも、酩酊状態など「わからない」という状態で行為を行うことも挙げられる。それが後々になって「セクハラ」と訴えられてしまうことも少なくないことを考えるとそれをやる側・やられる側双方とも、どのように防止したらよいのかわからなくなってしまう。

第三章「恋愛がセクハラになるとき―ときめきスイッチが入ったときはもう橋をわたっている」
上司・部下の恋愛関係は自分自身想像がつかないのだが、職場によってあるのだという。その中には結婚を前提にした「付き合い」もあれば、「不倫関係」というように昼ドラのような関係を持つ所もある。しかし発展によっては本書のタイトルにあるように「その恋愛はセクハラです!」と訴えられるようなケースもある。これは自分自身も想像できなかったことだが、恋愛がらみのことで「セクハラ」ととらえられてしまう。その多くは上司の勘違いによるものであるという。

第四章「女性はなぜはっきりとノーを言わないのか、男性はなぜ女性のノーに気付かないのか」
セクハラが大事になるというよりも、それが発覚して根本的な解決に至らない理由が本章のタイトルにある。女性の場合はあまりの恐怖や羞恥心により「ノー」を訴えることができないでいる。反対に上司の側も女性が「ノー」と言っても、「もっとやって」と勘違いしてしまい、無意識にさらなるセクハラをしてしまうようなことさえ起こり得る。

第五章「恋愛とセクハラの近くて遠い距離」
「恋愛」と「セクハラ」の違いはいったい何なのだろうか。「相手の合意のあるなし」というのがあるのかもしれないのだが、とらえ方、発展の仕方によって「セクハラ」に転じてしまうため、本章のタイトルにある「近くて遠い距離」というのは含蓄のいく言葉である。

第六章「オフィスにセクハラの種はつきまじ」
オフィスそれぞれであるが、大概のオフィスでは、男性はスーツ、女性はスーツであったりほかの衣装を着ることもある。女性の装いによっては男性にとっては目のやり場に困ってしまうようなことも少なくない。しかしその視線一つでも「セクハラ」ととらえてしまうのだから、たまったものではないのだが、釘づけにならず、目が行ってしまい、その後目をそらす程度になると「セクハラ」と断定することは難しいという。

第七章「周囲の方々、担当者へ」
セクハラに対する理解は男性もそうであるが、女性も理解する必要がある。もちろん双方の考え方の違いはあるのだが、それをいかにして違いを埋めていけばいいのか、女性にしても、男性にしても互いにセクハラに対する理解を深める必要がある。

セクハラはいつまでたってもなくならない状態である。それは男女の価値観の違いによるものもあれば、人それぞれのとらえ方によって異なる認識を持つ必要がある。実際に市町村や会社にあるセクハラ防止パンフレットがあるのだが、それでは防止できないということを前提にして、本書を通じてセクハラというのを理解する必要がある。