「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える

よくビジネス書で「できる人」と言うような言葉をよく見かける。しかし実際に「できる人」というのはどういうものなのだろうか。人によっては「気が利く人」、あるいは「手早く仕事ができる人」など要素は様々なものがある。そういった風潮にはかつて存在していた「終身雇用制度」があり、それが崩壊したことによって企業は自分自身を守ってくれなくなったと言うのがある。それが「できる人」は何なのかをつくられるようになり、ビジネス書・自己啓発本が氾濫し、さらには起業志向の人間もつくられるようになり、いつの頃からか中高年が若者に向けてそうなるように言い続けられるようになった。

本書はその言い続けられる風潮を断ち、若者に対して期待せず、若者のみならず、中高年も自立するような考えを持つ事を推奨する一冊である。

第一章「入社式に見る平成「働き方」史」
私が入社式を迎えたのは2008年。今から6年前のことである。その当時の景気はリーマン・ショック半年前で上昇傾向のピークにあったためか、未来は明るいというような話が多かった印象があった(うろ覚えだが)。あと、その時期になると日本生産性本部が「今年の新入社員」について「○○型」と言うような事を挙げる。
また本章で取り上げられているのは入社式・新入社員だけではなく「働き方」の変遷もあるが、そのキーワードとして最近叫ばれているCSR(企業の社会的責任)やグローバル化がある。

第二章「「即戦力」はどこにいるのか」
書店に行くと「即戦力な男」というようなタイトルの本を見かける。私が入社した当初、企業は育てながら戦力にするという風潮があり、私より10個ほど上の世代と、リーマン・ショック以降入社した世代はむしろ「即戦力」が求められたというような事を聞いたことがある。
しかし「即戦力」と言っても会社で必要とされる専門的なスキルは身についていない状態で即戦力となるだろうか、と言うのが考えられる。しかしものは言いようで、第四章で述べるようなコミュニケーション能力などの人間的、かつ汎用的なスキルが備わっているかどうかで即戦力かどうかを問うている。

第三章「「グローバル人材」とは誰のことか」
「グローバル化」や「グローバリゼーズム」など「グローバル」と言う言葉が乱舞しているように思えてならない。もちろん人材に対しても言えることなのかも知れないが、これは端的に言うと、英語などの外国語を使いこなせる力と外国人にも臆することなく議論することのできる人材のことを指しているのかも知れない。そもそも「グローバル」と言う言葉が出てきたのはいつの頃か、本章では1971年の主張全国コンクールの事であるという。

第四章「そこまで「コミュ力」が必要ですか」
私自身ビジネススキルの中で得体の知れないものがあるとしたら「コミュニケーション力(コミュ力)」を取り上げる。コミュニケーションというのは口頭における会話のやりとりもあるが、もっと裾の野を広げてみると手紙による文通、それが機械化されてメールやブログによる伝達も立派な「コミュニケーション」である。その伝達が円滑になっている火というのを問われる力なのかと言うと、巷では「聞く力」とか「話す力」とか、「伝える力」とかそう言う所にフォーカスしているように思えてならない。もちろん本章でも私と同じように得体の知れないものであるようなニュアンスで取り上げられている。

第五章「「起業家」は英雄なのか」
私自身もほとんど独立している状態にあるためある種の「起業家」と言えるのだが、実際の所事業を興して会社を作ろうという考えは今のところ無い。
私事はさておき、「起業家」と呼ばれる人というと、バブル景気後半には著者が勤めていたリクルートの創業者である江副浩正氏が挙げられ、後に2000年代になってくるとホリエモンもいれば、サイバーエージェントの藤田晋氏、さらには破綻寸前になった与沢翼氏、東京都知事選に立候補した家入一真氏らがいる。そういった方々は本当に「偉い」のだろうか著者は元々疑問に思っていた。

ゆとり世代の批判では無く、若者へのエールや期待感をよく口にしている親父世代に対して、「若者には期待するな」と言うことを著者は主張している。それは、自分自身は何も行動せずに、若い人たちに対して押しつけがましく期待や「頑張れ」を言い続けてしまい、若者たちが疲弊してしまっていると言うような現状を著者が売れいていたそのことについて指摘した一冊である。