賢帝と逆臣と~小説・三藩の乱

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17世紀の中国大陸は清王朝が始まったときでもあった。清王朝は江戸時代が起こって約20年後となる1622年に、現在のモンゴル地方にて誕生し、瞬く間に中国大陸全土を統一した。それか270年もの間、中国大陸の歴史を紡いできたのだが、後半になってくるにつれイギリスなどの欧米列強はもちろんのこと、日清戦争の敗北によって急速に衰退し、大正時代の時には滅亡した。

その清王朝の中で歳代の名君と言われたのが本書で紹介される第4代皇帝・康熙帝(こうきてい)である。康煕帝は8歳で清の第4代皇帝に即位し、逝去するまでの61年間皇帝の位を続けた。内政はもちろんのこと外征に関してもロシア帝国・チベットなどの外交問題を解決していった。その一方で内政でも自ら倹約を行い、国民に対して減税を行った事によって今もなお語り継がれる皇帝の一人にまでなった。亡くなられた時につけられる廟号(びょうごう・日本で言う所の戒名)に「聖」という文字がつけられるようになった。

もちろん康煕帝は「賢帝」であった事実はあり、政治も正しく行われていたのだが、もちろん帝政に反目する「逆臣」も存在した。その逆臣3人がこぞって起こした反乱、名づけて「三藩の乱(さんぱんのらん)」が1673年に起こった。乱自体は8年もの歳月を費やしたものの、最終的には清側が反乱軍を鎮圧した形となった。

とはいえ8年もの歳月の中で清側もピンチを迎え、康煕帝は重大な決断に迫られるときがあった。もっと言うと反乱が起こった時、康煕帝は19歳の青年だった。とはいえこの「三藩の乱」のきっかけとなった藩の廃止を決めたのは康煕帝だった。もちろん様々な諫言を聞いた上で自ら下した決断であっただけに、反乱にしても毅然とした態度で臨んだ。その姿をフィクションもあるのだが、毅然と王朝の民の為に、そして清王朝の為に自ら尽くした康煕帝の姿を映し出しているのが本書と言える。

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