イスラムの怒り

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イスラムというと、国際的テロ組織「イスラム国」の蛮行が止まらないことを連想してしまう。それ以前にも「アルカイダ」や「ハマス」があり、西洋諸国らに対して攻撃をすすめてきた。もちろん欧米諸国の中にはテロ組織に対して、国家を挙げて掃討してきた所もあれば、国連などの場で避難を表明すると言うこともある。一方日本はどうなのだろうかというと、政治的には日米同盟に則り対米・対欧追従の姿勢を見せているものの、文化のマイノリティもあり、イスラム教に対する嫌悪感は欧米諸国に比べると少ない。
さて、本書の話である。イスラム教の人々、そして欧米諸国それぞれどのような「怒り」を持っているのか、その本質を検証しつつ、異文化交流のあり方について提示している。

第一章「「テロとの戦い」の失敗」
本章のタイトルにある「テロとの戦い」はかつて、9.11事件から端を発し、翌月に起こったアフガニスタン侵攻、欧州の一部が反対したが押し切って勃発したイラク戦争が挙げられる。これらの「テロとの戦い」は失敗したという見方をする論者も多く、その要因としては民主化が中途半端に終わってしまったこと、そしてイラク戦争終結後泥沼に陥ってしまったことが挙げられる。もちろんアルカイダをはじめとしたイスラム系武装組織による報復攻撃、さらには誘拐殺人といった憎しみの連鎖が助長して起こった事件も数多くある。

第二章「隣人としてのムスリム」
イスラム教を主軸とする民「ムスリム住民」は世界各地におり、とりわけ中東や東南アジア、さらには北・中央アフリカ大陸などにも及んでいる。日本も高度経済成長がピークとなった80年代に、労働市場の開放により、多数のムスリム住民が労働者として日本に移住してきた事実も存在する。しかしそれらはバブル崩壊や入国規制の厳格化によって減少してきたが、現在でも日本におけるムスリム住民は存在する。

第三章「西欧は、なぜイスラムを嫌うのか」
しかし、西欧諸国はイスラムを毛嫌いするところは数多い。その理由としては「宗教対立」が挙げられる。ともに「一神教」であるのだが、成立した時期がイスラム教が6~7世紀であり、西欧諸国がもっとも信仰しているキリスト教と比べても600年以上遅い。その優越感がキリスト教にあるだけではなく、唯一神の存在も対立の火種となっている事実もある。またキリスト教は「愛」の宗教と呼ばれながらも、他宗教に対する迫害もあった。もちろんそれはユダヤ教もあればイスラム教もあった。それがイスラムとキリストの対立の一つもあるのだが、ごく最近対立の引き金となったのは前のローマ教皇であり、現在は名誉教皇にあるベネディクト16世のイスラム敵視発言にあった。

第四章「すれ違いの相互理解」
しかしイスラム教の中でも対立は存在する。有名なもので言うとスンニ派とシーア派の対立である。ほかにもイスラム教を主軸とする国々でもイスラム教を率直に遵守している国もあれば、マイノリティをもとに緩和した国も存在することから、相互理解はほかの宗教のみならず、イスラム教内でもすれ違いが起こっている。本章の後半に「イスラム国家は存在するか」という論題があるのだが、現在蛮行を行っている「イスラム国」は間違っても国家として承認されておらず、あくまで「テロ組織」という認識が国連や西欧諸国にある。実際にイスラム教だけで国家を成し得ることは難しく、その原理に則って国家をつくるのはイスラム教に限らずごくまれである。

欧米諸国とイスラムの対立は今に始まったことではない。イスラム教ができたときから宗教対立として起こったものであることは理解できる。比較にはならないのだが、現在起こっている日本と中国・韓国との対立もこれもまた今に始まったことではなく、聖徳太子のいた飛鳥時代のころから「中華思想」「小中華思想」として存在したのと似ている。そのため、イスラムと欧米諸国の対立は完全に超越して相互理解を得ることは非常に難しいと考えられる。もっともどちらかが歩み寄りを起こさない限り対立の緩和と相互理解はできないと考えた方がよい。

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