教えて! カンヌ国際広告祭~広告というカタチを辞めた広告たち

「カンヌ」と言えば有名どころで言うと「カンヌ国際映画祭」があるのだが、もう一つ有名なものがある。それが本書で紹介する「カンヌ国際広告祭(現:カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル)」がある。広告業界では有名なお祭りなのだが、具体的にどのようなお祭りなのか、そしてそこで取り上げられる広告はどのようなものなのか、本書は広告祭で審査員をつとめている日本人が紹介している。

第1章「「1日にCM600本」の過酷な審査会」
本章のタイトルを見て、1つのCMが15秒でも、2時間以上かかるし、もちろんCMは1分近くかかるものもあるため、審査員は丸1日広告をみる必要があり、1つ1つに審査をしていかなければならないため「過酷」という言葉が使われる。しかも1つ1つの審査時間は数秒しかないので、早めに決めなければいけない。しかも審査員は日本人や欧州だけではなくアメリカや東南アジアなど様々な国の人がなるため、しばしば対立も起こるのだという。

第2章「日本の常識は、世界の非常識だった!」
カンヌ国際広告祭において、日本の広告も出展されるのだが、実際にどれだけ出展されているのかというと、欧米と比べても比較的少ない。もっと言うと、受賞についても少なく、最高賞である金賞もほとんど受賞できていないという。なぜそれだけ受賞が少ないのか、著者からして、「日本」と「世界」における「常識」の違いを理解できていないこと、さらには欧米の賞であるため、欧米系の審査員に偏っているのではという固定観念があるためである。

第3章「もうトラディショナルではいられない」
「トラディショナル」は、直訳すると

「伝統に忠実であるさま。昔からの習慣を守るさま」「大辞林 第三版」より)

とある。広告における「トラディショナル」は、スタイルもそうなのだが、もっと根本的に言うと「フィルム」や「プレス」といったものを指す。「フィルム」とは映画館などで観られる「劇場広告」やネット動画、TVなどに使われる動画広告を指し、「プレス」は新聞や雑誌広告などを表す。しかし広告祭の部門は年々部門が増えたり減ったりするのだが、時代に即して部門ができるという。その新しく出てくる部門を「ノントラディショナル」と定義しており、そこを目指すべき事を提言している。

第4章「“広告”から“ブランデッド・コンテンツ”へ 」
ただ、ノントラディショナルになってくると「広告」の定義はどのようなものかわからなくなってしまう。もっとも広告そのものも変化し、商品を伝えると言うよりも、広告そのものが「ブランド」として成立するようなあり方になってきている。

第5章「BRAND WILLという生き方」
ブランドとしての「意志」はどのように持つべきか、そしてどうして必要なのかということを提示している。商品としての効能よりも、むしろ商品を使う事へのイメージとしての「意志」を売っていくあり方について、本章では実例をもとに提示している。

第6章「そして、 “非広告型広告”へ 」
「非広告型」は簡単に言うとストレートに商品を表示しないことを表している。今から6年前のフィルム部門グランプリの作品にチョコレートのCMがあるのだが、実際のCMはチョコレートをストレートに出さず、ゴリラのずっと出ているCMだった。賛否両論だったのだが、これからの広告としてのあり方を示していたという。

私自身広告業界にいない人間であるせいか、本書に出会うまで「カンヌ国際広告祭」というものを知らなかった。世界中の広告が集まり、審査していく中で広告のあり方は変化しているといっても過言ではない。確かに私自身電車に乗っていると広告が変化しているのがよくわかるのだが、細かい変化まではわからなかった。しかし広告は日々刻々と変化しており、それをいかに対応していくのかという重要性について、本書をもって示してくれる。