丁稚のすすめ―夢を実現できる、日本伝統の働き方

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「丁稚奉公」と言う概念は江戸時代から戦前まで存在していたのだが、戦後からその概念がなくなってしまい、「丁稚」と言う言葉すら死語になりつつあった。しかしその「丁稚」の概念が再評価されつつあり、現に企業の中で「丁稚」を行う所がある。それが神奈川県にある企業「秋山木工」である。主に注文家具をつくる家具メーカーであるのだが、家具以上に注目されているのは「人を育てること」そのものである。秋山木工には4年間の「従弟(とてい)制度」があり、それが「現代の丁稚」と取り上げられるほど厳しい制度である。
具体的にはどのような制度なのか、そして4年間の丁稚を通して人はどのように成長するのか、日本中で注目されている制度を取り上げている。

第一章「女も坊主。丁稚に課した10のルール」
丁稚になるために、「自己紹介をする」「坊主になる」「携帯電話の禁止・手紙の連絡義務」「恋愛禁止」など様々なルールが設けられている。もっとも最初の「自己紹介をする」と言うことはただ単に行うのではない。おそらくそれだけでも「丁稚」の恐ろしさを垣間見ることができる。

第二章「不器用な人間ほど一流になれる」
従弟制度は非常に厳しい制度であるのだが、もっとも重視しているのは「不器用」であることだという。よくある会社や仕事である場合は「器用」であることを重視しており、ビジネス書でもそれに似たことを重視しているのだが、なぜ「不器用」を重視しているのか。それは自分自身が素直になるだけではなく、自分自身が成長することができることにある。先輩や上司から咎められながら、失敗をしながら、成長し続けることによって、「一人前の職人」となるための「謙虚さ」を身につけることができるという。

第三章「私がかぐ職人を目指した理由」
なぜ著者が「秋山木工」を創立し、「従弟制度」をつくったのか、それは著者自らの人生経験によって成り立っている。極貧だった少年時代から手先が起用だったことを機に職人を目指し、職を転々としながら成長していった。そして会社を設立し、知識を身につけながらこう思ったという。

「毎日の米にすら困っていた私が、食べるものに苦労しなくなったのは、木工職人になれたからです。そして、私が職人になれたのは、たくさんの人と出会い、応援してもらったからです。
 その恩返しを世の中にしなくてはいけない。
 日に日に強く、そう思うようになりました。
 とはいえ、自分に何ができるのかー考えて浮かんだのが、ひとりでも多くの職人を育てて、世の中に送り出すことでした。」(p.162より)

この文章を読んで、各国務大臣・東京市長・台湾総督府民政長官・満鉄初代総裁を歴任した後藤新平の言葉を思い浮かべる。

「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」

世のための一番よいことは人を残すことにある。その言葉を忠実に実行する固めに今の「従弟制度」を思いついたのである。

第四章「一人前になったらクビにする」
衝撃的なタイトルかも知れないが、いつまでも同じ会社で成長するのではなく、会社で修行を行い、職人としてつとめた後、外に出て成長するために「クビにする」と言うことである。もっとも今の企業人の多くはそういうことができていないと言っても良いほど過言ではない。もちろん会社の中でも成長する糧はあるのだが、会社の中での常識・技術にとらわれてしまう。そうではなく、会社の外に出て、揉まれていくことによって、どこでも通用する人に成長することができるという願いを込めている。

第五章「真の職人になるために必要なこと」
グローバル化と言われる時代には「職人」のような人は必要ないと主張する人がいるのだが、著者は「だからでこそ」必要であると言い切る。その大きな理由として「手に職がある」ということ、そして厳しい教育を受け育った「人間味」が世界に必要なことにあるのだという。これは「職人」だけ必要なことではなく、もしかしたらコンサルタントなど、職人とは縁遠いような職業にも通用すると言えるのかも知れない。もっともかつて日本にあったものこそ世界に通用する「オンリーワン」のものと言える。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉がある。「買ってでも」というわけでは無いのだが、厳しく育て、苦労をさせていくことによってこれからの時代に流されることなく自立することができる職人を育てることのできる制度がここにある。そこは「職人」としての技術だけではなく、本当の意味での「人間力」を育てる、会社自信の利益を捨て、人を鍛え、送り出すというかつて日本にあった概念が残っている企業と言える。

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