イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか

「イスラム」と言うとイスラム国やアルカイダなどイスラム原理過激派組織を連想する方も多い。時期が時期なだけかもしれないが、実際の所イスラム教は、他の宗教とは排他的のように見えて、宗派によってマイノリティがあると言えるといえる。もっと言うとイスラム教を主軸とする国々と日本は決して嫌悪ではなく、むしろ「尊敬」されているという。その一つの例としてイラクの独裁者だったサダム・フセインは明治天皇(特に日露戦争における日本軍)を尊敬していたという逸話も存在する。他にも尊敬されている理由はいくつもあるのだという。本書はなぜイスラムの人々が日本に尊敬されている理由か、そしてイスラム教とは何なのかを探った一冊である。

第1章「イスラムの人々は義理・人情がお好き」
イスラム教の人々は戒律に厳格で、それでいながら他の宗教や文化に排他的なイメージがあるのだが、実際には日本のポップカルチャーに接する若者が多いなど、他の文化にも許容できるという。

第2章「イスラム世界で接した親日感情」
そもそもイスラム世界は日本に対して好意的であるという。その理由として大東亜戦争をはじめとした第二次世界大戦における「アジア解放」が挙げられる。本章ではアフガンの独立・支援、さらにはトルコにある「通り」についてを言及している。

第3章「歴史の中で醸成された親日的心情」
日中友好のきっかけは、大きなものとして第2章にも挙げたのもあるが、それ以上に「日露戦争」の勝利によって「欧米列強に勝てない」という感情から解放されたことが挙げられる。ほかにもイラク戦争後のサマワでの自衛隊支援は現地にとっても好意的であり、帰還する前にはなんと「帰らないで」というデモ活動も起ったほどである。

第4章「イスラムは暴力的な宗教か?」
イスラム教は暴力的な宗教と挙げられており、その理由として「ジハード(聖戦)」が挙げられる。その思想でもって相次いでテロ事件が引き起こされているのだが、イスラム教の聖典である「コーラン」では、殺人そのものを厳しく禁じている戒律が存在する。そう考えていくとジハードと殺人禁止が矛盾しているのではという疑問点が浮かんでくるのだが、そもそも「ジハード」は、

「イスラムの家」を広め、防衛する手段である。」(p.133より)

とある。「イスラムの家」はイスラム教を主とする国・地域を指し、それを広めることを指している。これが暴力装置によって起こして広げることもあるのだが、ほかにも説教や外交によって広めることもある。しかしジハードによる戦死について、殉教として崇められていることから暴力的ととらえられることもある。

第5章「遊牧民のもてなし文化」
日本はおもてなしが優れているのだが、トルコもまた同様におもてなし文化に特化されているという。もっとも日本に対する尊敬の念からおもてなしの文化を醸成している部分もあるのだが、人懐っこく、親切なところもあるなど、日本と異なる部分もある。

第6章「日本への注文」
日本とイスラムの関係は良好であるが、あえて注文をするとしたらどのようなものがあるのだろうか。その多くは国家同士で行う「外交政策」である。もちろん国交関係を深める必要があるのだが、もっとも開発援助を行う、あるいは文化交流を積極的に行うことなどを提言している。

第7章「中国、韓国との競合」
しかし最近になってイスラムと中韓の関係は深まっており、とりわけ中国は関係を深めようとしている。そのため日中韓がイスラムに対する競合もある。そのうえで日本はどうすべきか提言を行っている。

遠いように見えて近しい存在といえる日本とイスラムの関係をいかにして気付けばよいのか、そしてその関係をもっと深めていくにはどうしたらいいのか、そのことについて考えさせられる一冊だった。