「李香蘭」を生きて

今年の9月7日、李香蘭こと山口淑子が94歳という年齢でこの世を去った。戦前~戦中ではアジアの大女優・大歌手、そして晩年は国会議員として活躍した重要な人物が失ってしまったことになる。戦前から戦中の歴史を紡いできた「李香蘭」はいったいどのような思いで演じてきたのか、そして戦後の人生の中で影響を及ぼしたのか、自ら綴った一冊である。

第一章「「李香蘭」誕生」
李香蘭こと山口淑子は1920年当時「中華民国」と呼ばれた中国大陸で生まれた。中国大陸で生まれたものの、両親は日本人であったのだが、後の漢奸裁判で影響を及ぼすことになる。順風満帆な人生なのかと思ったが、それが音を立ててくずれ始めたのは「平頂山事件」である。この事件により知人からあらぬ疑いをかけられ、両親が拘束されてしまった。後に親友となる「リュバ」と出会い、彼女の紹介で、歌手への道を志すことになった。後に「李香蘭」という名となって。

第二章「「五族共和」のヒロイン」
李香蘭として歌手デビューし、後に女優としてデビューする事となった。昭和1`0年代に様々な映画に出演し、映画に歌手にと縦横無尽に活躍した。競演には日本人・中国人・満州人・朝鮮人など様々な人と競演することになり、「五族共和」の象徴にまでなった。

第三章「さようなら中国」
大東亜戦争が終わり、至る所で軍事裁判が行われた。当然李香蘭こと山口淑子もまたスパイの嫌疑が掛けられた。その嫌疑を晴らすために戸籍謄本が出され、その結果日本人と認められ釈放された。その後日本で女優として活動を続けていった。

第四章「戦後、そしてリュバ」
リュバというのは、山口氏の親友と呼ばれる存在である人のあだ名である。本名はリュバ・モルソファ・グリーネッツと呼ばれるユダヤ系ロシア人だった。戦後女優の活動を続けたのだが、引退し、政治家の道を志し、参議院議員となった。やがて政界引退をし、晩年はひっそりと暮らし、2014年、激動と言える生涯に幕を下ろした。

李香蘭の評価は今もなお定まっていない。ただ、戦前~戦中の時代を彩った大女優・大歌手であることには変わりない。「李香蘭」の存在は戦後経ってからドラマや舞台などで、評伝と言う形でくまれており、今もなお李香蘭の存在は残っていると言っても過言ではない。そして李香蘭こと山口淑子が亡くなった今も、彼女を足跡ははっきりと残っている。

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