ハプスブルク三都物語 – ウィーン、プラハ、ブダペスト

かつて東欧には「ハプスブルク帝国」が存在し、長い歴史の中で、建造物や音楽など東欧における文化の根幹をなしてきた。そのなしてきた文化の遺産は今でも東欧諸国に根付いている。本書はオーストリアのウィーン、チェコのプラハ、ハンガリーのブダペストの三都市で紡いできた歴史と名所をもとに、ハプスブルク帝国の足跡について追っている。

Ⅰ.「ハプスブルク帝国と三都の歴史」
最初に「ハプスブルク帝国」について書いておく必要がある。
元々の表記は「ハプスブルク君主国」と呼ばれており、1526年にオーストリア大公国、ハンガリー王国、ボヘミア王国の三国をドイツ系の貴族であるハプスブルク家が支配したことから始まる。ただ、国名は歴史学上の呼称であり、実際には「オーストリア」と呼ばれていた。その時代に建造物や文化が生まれてきたのだが、ハプスブルク帝国には多様な地域・民族があったために単一国家としての統治は難しかった。国家としては、統治は難しかったものの、文化を栄えるにはもってこいの環境だったと言える。

ウィーンには、楽曲「美しく青きドナウ」の舞台となったドナウ川をはじめ、多くの絵画・壁画を取り上げている。中でも帝国を支えてきた皇帝の絵画、さらには宗教戦争や会議の絵画まで取り上げられている。
プラハと言うと、ハプスブルク帝国以降のことになるが、1968年の「プラハの春」が挙げられる。またプラハには代表的な作家フランツ・カフカの家も黄金小路に存在しており、スメタナのわが祖国にある有名な楽曲「モルダウ」の舞台となったモルダウ川も存在する。
最後ブダペストには多くの「橋」がかかっていることでも有名である。そのため本章では「民主主義の橋が架かる町」として取り上げられている。有名どころで言うと「鎖橋」や「エルジェーベト橋」が挙げられる。

Ⅱ.「建築を歩く―祖国への思い」
ハプスブルク帝国の栄華を彩った建築物は時を経て今でも残っている。バロック調の建造物はもちろん、他にも「芸術」を思わせるような建造物は教会のみならず、駅舎、城などでも使われているほどである。

Ⅲ.「現在の中に含まれた過去―音楽とカフェを楽しむ」
「音楽の都」と言うとオーストリアのウィーンであるが、プラハやブダペストから取り入れられたものもある。それをひっくるめて、本章ではウィーンで根付いてきた音楽・文学などの芸術を取り上げているが、ウィーンで生まれ育った、あるいは活躍した音楽家は数多い。ザルツブルクで生まれ育ち、ウィーンで活躍したモーツァルトをはじめドイツからウィーンで活躍したベートーヴェン、ハンガリーからオーストリアで活躍したハイドンと、オーストリアの生まれ育ちに限らず、音楽への夢を求めてオーストリアにやってきては多くの音楽を残してきた。
また本章では音楽の他にもカフェを取り上げている。カフェとは言っても一杯のコーヒーがそれぞれの都市でどのような特徴を持つのか、そしてカフェがいかにして扱われてきたのかと言うのも異なるので、興味深いと言える。

ハプスブルク帝国はこれまで歴史本で多く取り上げてきたのだが、「文化」という観点に着目した本はこれまで見たことがない。東欧の文化はハプスブルク帝国によって築いたことを知らしめると同時に、ハプスブルク帝国が残してきた遺産が本書を通じて理解できる一冊と言える。