<第九>誕生~1824年のヨーロッパ

今年も残すところあと3週間ほどになった。「年末」となると、日本クラシック界では、いつものように演奏されるのがベートーヴェン作曲の交響曲第9番、通称「第九」である。なぜ日本では「第九」が年末を中心に行われるのか、その謎を紐解いてみると戦後間もない時にオーケストラが財政難だったのだが、年末に第九を演奏したら大盛況だったため、それに倣い、多くのオーケストラが年末に第九を演奏することになった事から定着したと言う話がある。本書はそもそも「第九」はいつから演奏されはじめ、そして世界的にどのような広がりを魅せたのか、それについて考察を行った一冊である。

Ⅰ.「<第九>初演の日―1824年5月7日」
第九の初演は本章のタイトルにあるとおり、1824年5月7日、ケルントナー門わきにある宮廷劇場で演奏された。もちろん指揮は作曲したベートーヴェン本人である。このときはプロのオーケストラは存在せず、様々な演奏家・歌手を寄せ集め、85人~100人ほどにまで参加して演奏会にこぎ着けた。いわゆる「ありあわせ」のアマチュア・オーケストラと言える存在であり、入れ替わりも激しく、直前までベートーヴェン本人は音楽づくりに苦心したと言われている。

Ⅱ.「1824年のヨーロッパ」
日本では江戸時代の後期で、徳川家斉が第11代将軍についていた時代だった。そのときのヨーロッパはいったいどのような時代だったか、その一つの出来事として「ウィーン会議」がある。これは1814~1915年の間にナポレオン戦争とフランス革命おける処理についての会議だった。しかしその会議は激論で大盛り上がりだったのだが何の結論も出ず、ただ「開催された」だけの会議にとどまった。そこで出た格言が「会議は踊る、されど進まず」である。

Ⅲ.「<第九>のイメージ」
元々「第九」には副題は存在しないのだが、日本では「歓喜の歌」と名付けられている。しかし本当にそうなのだろうか。本章では第九そのもののイメージがどのようにして形成づけられたのかを楽章ごとに取り上げている。

Ⅳ.「新たな始まり」
ベートーヴェンの第九ができ、初演をしたことによって、多くの作曲家、作家らに影響を与えた。そしてベートーヴェンを中心に形成づけた「ロマン主義」の最たるものとして取り上げられる論者も少なくなかった。とりわけ後世の作曲家たちが「第九」をどう見てきたのか、と言うところを本章では取り上げている。主に挙げられているのが「幻想交響曲」をつくったベルリオーズ、未完成(交響曲第8番)などで有名なシューベルトである。

第九の初演によってヨーロッパの音楽界は少なからず影響を与えた。初演からちょうど190年という月日がたった現在でも、世界各地で第九は奏でられている。果たしてベートーヴェンはこの状況をどのように見ているのだろうか、それは定かではない。