2020年新聞は生き残れるか

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私自身新聞嫌いではあるものの、時折色々な新聞を読む。しかし新聞を読むたびに、その新聞それぞれの思想や考え方が出ており、それが「偏向」と見て取れるきっかけになってしまう。あと新聞と言うことにフォーカスを当ててみると、今年の8月に朝日新聞の吉田調書にまつわる問題があり、新聞への信頼も低下の一途を辿っている。
そう考えると新聞はどのように生き残るべきか、そしてジャーナリズムはどういった方向に進むのか、本書はそのことについて現役ジャーナリスト、及び東京新聞・中日新聞の副主幹が論じている。

第1章「ジャーナリズムのデフレ敗戦」
経済のニュースを見ると、けっこう悲観的な見方をする事が多い。特に円相場の場合はそうで、円高になれば自動車をはじめとした工業製品が大損害を与えるといった報道になり、現在進行形で起こっている円安が起こると、原料高になり、暮らしに打撃を与えると言うことになる。最もどっちに転んでもマイナスの面があるのではないかと見て取れるのだが、物事には表裏があるということで良い面もあるのだが、経済ニュースは一切報道しない。他にも日米関係やTPPの話についても新聞で論じられない理由があるという。

第2章「日銀と財務省に洗脳される記者たち」

「経済記者が不勉強なのは、メディア企業側にも理由がある。記者という人種はそもそも勉強嫌いというだけではなく、入社した後も、まず絶対に「基礎から勉強しろ」とは言われない。これも本当だ」(p.48より)

経済記者の不勉強について突いたところであるのだが、最もこれは経済に限らず、政治や社会についても同様の事が言えるのではないかと思う。もちろん中にはこれでもかと言うくらいまで勉強し、深い見識・見解を持つ記事を見ることもあるのだが、それはごく少数と言っても過言ではない。
では記者たちはどのようにして判断するのか、それは「権力」や「権威」と言ったもので見るのだという。

第3章「なぜメディアは政策をまともに論じられないのか」
今週末に衆院選があるので、ここの政治家については述べることはしないのだが、メディアが政策を論じる際に、どのように論じられるのか、「真実」を語られるわけではなく、むしろ政局や政策に関して「客観的」「公正」に取り上げているのだが、それに縛られるあまり「思想」と言う言葉が独り歩きしているような感じがしてならないと著者は分析している。

第4章「ジャーナリストの仕事、私の流儀」

「私の先輩たちの時代は『ジャーナリストは左じゃなくちゃいけないんだ』と言ったもんですよ。政権を批判するのがジャーナリストなんだから、という理屈ですね」(p.114より)

これは著者と共演している政治評論家の発言である。もっとも新聞を見比べてみると、「右寄り」の新聞や雑誌もあるが、どちらかというと左より、もっと言うと「極左」と見まがうような新聞・雑誌も存在するのも事実である。ただ前述の政治評論家の発言を分析すると「判官贔屓」というわけではなく、「監視をする」という役割をもってあえて「左」というスタンスで行っているという。

第5章「新聞を出し抜くネット・ジャーナリズム」
新聞が衰退し、なくなってしまうのではないか、と言う議論は私の知る限りではもう7年以上も前から論じられてきたことである。なぜ7年前かというと、その辺りに発売された本を取り上げたのがちょうど2007年に出版されたというだけのことである。その時からネットが隆盛し、新聞の販売部数も右肩下がりだったことからネット・ジャーナリズムが台頭するだろうと言うことを書いた覚えがある。
本章では新聞がネット・ジャーナリズムを出し抜く理由として新聞の「取材力不足」を挙げている。「取材力」は簡単に言うと足を使って取材をしていないこと、さらには記者会見で裏を取れるような質問ができてないことが挙げられる。もっとも会見の全文や資料にあたって、それを解釈していくのもネットの強みに代わられていると言うところも挙げられている。

第6章「メディアと政府の関係を変える「オープン・ガバメント」」
民主党政権で日本における国家として大きな損失を被ったのだが、適切だったというのが、「情報公開」だった。これは政権交代してから間もない時であるが、予算情報を全て公開したことにある。これについては著者も評価している。今度は情報公開の範囲を広めて、国民にも分析できるようにすることを著者は提言している。

第7章「ジャーナリズムが生き残るためにすべきこと」
もはやジャーナリズムが「生き残る」ためにはどうしたら良いのか考え、行動すべきであると著者は継承をならしている。例として「信頼される」こと、そのうえで「ゼネラリスト」か「専門家」か「データ型」「夜回り(取材相手の自宅に直接取材へ行くこと)型」になるかいずれかになる事が生き残る術なのだという。

テレビやラジオ、雑誌などで挙げられる「ジャーナリスト」や「評論家」は誰にでも名乗ることができる肩書きである。しかし誰にでも名乗ることができるからでこそ、本当の意味での「ジャーナリズム」とは何かを真剣に考え、自立し、それで取材し、記事にすることが不可欠となる。ジャーナリズムはもはや大手の産物とは呼ばれなくなり、新聞をはじめとしたメディアも「ジャーナリズム」の本懐を改めて見つめ直す時が来たのではないだろうか。

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