日本の狂気

人間には、様々な感情が眠っている。「狂気」もまたその一つであるのだが、その「狂気」が重なっていくことによって、国家や社会などの集団に伝播し、さらに大きくなる。本書はあくまで「日本」についてフォーカスを当てているのだが、決して著者2人が日本について侮辱をしたり、批判したりしている訳ではなく、あくまで日本にスポットを当てただけのことであるという。

第一章「精神分析から日本の「わたし」」
本章にて定義されている「狂気」は今日起こっている猟奇的犯罪や性犯罪などを取り上げているわけではなく、今日の社会で起こっている人・ものの「使い捨て」、疑心暗鬼、洗浄脅迫(手を洗うなど菌や汚れに対するヒステリックなことにより、脅迫まがいにさせること)などを取り上げている。

第二章「オウム真理教、歩く屍、正常ということ」
オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こって来年で20年を迎える。一連の事件の犯人はすべて逮捕されたが、未だに完全解決には至っていないものもある。しかしオウム真理教の一連の事件では「宗教」と言う名の暴力装置を引き合いに出しているのだが、これは現在進行形で起こっているテロ集団「イスラム国」にも同じことがいえる。

第三章「三島由紀夫―その倒錯の起源」
節目と言うと、もう一つある。三島由紀夫事件から来年で45年を迎える。三島由紀夫は一体何故、自衛隊市ヶ谷駐屯地に入り込み、訓辞を行い、そして自決をしたのか、今でも謎が謎を呼び議論が続けられている。著者はこれまで上梓されてきた三島由紀夫の作品を元に考察を行っている。

第四章「ネット心中の深層」
「ネット心中」は2003年から2005年あたりに浩上がりを見せた自殺掲示板で人を集め、集まった人たちが、集団で練炭などによって集団自殺を行う、という風潮を表している。その「ネット心中」にはどのような狂気があったのか。昨今ある狂気の変化とともに考察を行っている。

日本は「狂気」に満ちているというよりも、「狂気」と言えるような側面を持っていると言った方がよい。その「狂気」を司っているのは本書で取り上げている事件もそうなのだが、風潮そのものが、諸外国から「狂気」と呼ばれる側面を持っている。それは私たち日本に住み続けているとふつうと思えるようなものなのだが、海外からみたら異常に見えてしまう、そのことから「狂気」と言えるのかもしれない。