不幸は人生の財産

「不幸」は人を惨めにするような感じがするが、実際には不幸な体験は決してマイナスになるのかと言うとそうでは無い。むしろ「逆境」という意識を持って勉強をする、行動をする事によって不幸な出来事、体験そのものを人生の財産にしていく事が可能になる。
本書は長年作家生活を体験していく中で、感じたこと、考えたことについて取り上げている。

第1章「人生は運が半分、努力が半分」
全て努力をするだけで、上手く行くわけではない。強運を持っていたとしても全て上手く行くように世の中は単純ではない。そのため著者は本章のタイトルにあるとおり、人生を「運が半分・努力が半分」と定義した。マニュアル通り上手く行くような人生は全くと言っても良いほど存在せず、持っている性格によって功を奏したり、損に働いてしまったりするようなこともある。

第2章「不勉強で非常識な人々」
本章のタイトルの話題も含められているのだが、人には「適材適所」と呼ばれるものが存在する。これは職場や学校と言った集団の中で存在するのだが、政治の場においてその概念がないのではないのかと言うことを著者は批判している。
そしてもう一つ本章のタイトルにあることはかつてあった、教育現場において国家を斉唱する際に「起立しない」職員がいることについて指摘している。

第3章「人生の義務教育」
義務教育は、現行教育にて小学校の6年間、中学校の3年間と定められている。しかしそれ以外にも
老年・壮年と呼ばれる方々に「義務教育」と称して、再教育を行う必要があるのでは無いかと指摘している。確かに勉強をすること、学ぶこと、知ることは一生である。しかし勉強をすることをやめて、不見識・非常識になってしまうと言うこともあると言うことを考えると必要なのかもしれない。

第4章「外国から眺める日本の景色」
「日本の未来は暗い」「日本は良い国じゃない」というような声を聞くのだが、果たしてそうなのだろうか。著者は数え切れないほどの国々に滞在したり、観光に行ったりすることがあり、旅先から日本を眺めることが何度もあった。その中で感じたのが「まだ希望がある」「内部がガタガタなのはどこも同じ」「日本には底力がある」ということである。

本書はあくまで著者「週刊ポスト」で連載している「昼寝するお化け」を再編集したものである。しかしその中で最も印象的だったのが、不幸そのものが決して悪いことでは無く、むしろそれを財産にすることが編纂した時に思ったことから名付けられたのかもしれない。

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