流行歌の誕生―「カチューシャの唄」とその時代

本書のサブタイトルにある「カチューシャの唄」は1914年(大正3年)に発売され、大ヒットした。そのこともあり、歌詞の中にある「カチューシャかわいや わかれのつらさ」が流行語にもなった。昨年、その発売からちょうど100年を迎えたと言うことから、流行歌の歴史はどのようなものだったのか、その「カチューシャの唄」が発売された後、流行歌になった「ゴンドラの唄」などとともに考察を行っている。

「カチューシャの唄」の誕生
「カチューシャの唄」が生まれたのは最初にも書いたとおり1914年のことである。この曲の作詞者の一人である島村抱月(しまむら ほうげつ)と、歌手で女優の松井須磨子が不倫関係により文芸協会に脱退した2人の出会いがきっかけで新しくトルストイの小説「復活」を舞台化する事となった。そのヒロインの名が「カチューシャ」だった(日本で呼ばれる「ヘアバンド」の別称とは別物)。「カチューシャの唄」はその名前から来ている。

「カチューシャの唄」の流行過程とメディア
その「復活」の舞台公演が最初に行われたのが帝国劇場だった。当初は興業自体芳しくなかったのだが、後に大阪などの地方公演を行うようになってから口コミで広がりを見せ始め人気公演となっていった。それと同時に「カチューシャの唄」も流行し始めた。もちろんこの時は新聞などが情報源になっており、新聞による「劇評」が好意的なものが多く、それが端を発した要因とも言える。その後オリエント・レコードよりレコードとして発売され、大ヒットした。

地方巡業と唄の再発見
先に書いてしまったのだが、地方巡業を行った事で流行の広がりを見せた。その数は日本全国のみならず朝鮮半島や満州、台湾、さらにはロシアに至るまで約5年間にわたって公演を行ったのだという。そして歌自体のヒットの助力となり、曲名のサイレント映画も1914年に製作・上映された。しかし流行したことによるマイナスな面もあった。キスの場面によりわいせつとみなされ、裁判にかけられる、いわゆる「カチューシャ裁判」も起こったこともあれば、歌も女学校を中心に「歌唱禁止令」が出されるほどだった。

<歌う文化>と流行歌の時代
「カチューシャの唄」の翌年にも次々と流行歌が誕生した。「いのち短し 恋せよ乙女」で有名な「ゴンドラの唄」、「さすらひの唄」などが挙げられる。特に「ゴンドラの唄」は「カチューシャの唄」と同じく劇中歌であり、なおかつ松井須磨子が歌唱した曲である。「カチューシャの唄」と「ゴンドラの唄」の2曲は約100年経った今もなお「大正ロマン」の名残として語り継がれている。

本書が出ている「歴史文化ライブラリー」は歴史について考察を行った本である。もちろん本書も歌を元に大正・昭和時代を紐解いているのだが、「流行歌」を題材した本は「歴史文化ライブラリー」の中では「異色」と言える。しかし流行歌を紐解くのもまた一つの「歴史」なので、本書は無くてはならない一冊と言える。