演歌は国境を越えた――黒人歌手ジェロ 家族三代の物語

「史上初の黒人演歌歌手」「演歌界の黒船」と名を馳せたジェロは2008年に「海雪」という曲でデビューを飾った。このデビューは華々しいものがあり、デビュー曲で日本作詩大賞の大賞、日本レコード大賞最優秀新人賞などを受賞した。しかしデビューまでは決して順風満帆ではなかった。むしろ「苦難」という言葉がよく似合うほどである。本書はジェロが叶えた家族三代の夢への軌跡を綴っている。

第一章「演歌が家族を支えていた」
ジェロ(本名:ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア)は1981年、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグにて生まれた。母方の祖母が日本人で幼少の頃から演歌に触れ、親しんだ。ジェロの祖母は日本人で米軍兵と結婚し、アメリカで子どもをもうけた。祖母は元々演歌を好んでおり、それが娘、そして孫のジェロに大いに影響を与えた。
祖母は結婚を機にアメリカに移り住んだのだが、アメリカにおける日本人の感情はかなり悪かった。当時人種差別が激しく、黒人のみならず日本人に対する差別も激しく、つらい仕打ちを受けることもあった。他にも結婚したお相手も黒人だったことも大きな仕打ちの引き金となった。その仕打ちは後に娘であるジェロの母親にも受ける事となった。

第二章「伝説の始まり」
祖母の演歌や時代劇に影響を受け、日本語を覚え、日本に対する憧れを強めていったジェロは15歳の時に初来日した。その理由として高校生による日本語スピーチコンテストに参加する為だった。その後、大学に進学し、短期留学という形で日本に留学することとなった。その期間の中で演歌歌手になる事を決意したのだという。
大学を卒業し、日本に移り、そして「NHKのど自慢」を皮切りに演歌歌手を目指して独自の活動を進めていった。その活動中に、最愛の祖母が他界した。その時ジェロは深い悲しみに包まれたのだが、その悲しみを乗り越えて活動を続けていくうちに、ようやく演歌歌手への道を開く「出会い」があった。

第三章「『海雪』大ヒットの秘密」
会社勤めをしながらトレーニングを続け、デビューを果たしたのは最初にも書いたとおり2008年に「海雪」でデビューを飾った。このデビューは演歌としては異例の大ヒットとなったのだが、なぜヒットしたのか、その一つとしてジェロ自身が演歌歌手への道を開く「出会い」をした方にあった。その方はデビュー曲を制作した方でもあるが、その方は演歌の風潮について疑問に思っていた。演歌に対する固定観念を突き破るような演歌、それをつくりたかったのだが、そのきっかけとなったのがジェロとの出会いだった。そしてジェロのデビュー曲をつくりあげたが、社内では非難の嵐だったという。それでも押し通した結果、大ヒットにつながったという。

第四章「“夢”への階段」
デビュー曲は大ヒットしたが、それと共にジェロの注目度も急上昇していった。音楽番組、情報番組など数多くの番組に出演し、取材も殺到するほどになったのだという。そして自らの故郷であるピッツバーグにも凱旋し、無くなった祖父母に報告、そして故郷で演歌を歌い、錦を飾った。

第五章「母の真実」
話は親の所に戻す。ジェロがヒットをしたのと同時に母親が来日した。その時に母親の友人と再会することになったのだが、その時に母親の衝撃の過去を聴かされることになった。母親もまた人種差別に悩まされた。しかし祖母と異なるのはそれがアメリカのみならず、日本でも同じような仕打ちを受けたことにあった。それが原因で自殺未遂をするまで追い込まれたことがあったと言う。

第六章「夢の、その先へ」
2008年末には紅白歌合戦に出場した。その時に着たジャケットには、演歌を教えてくれた祖母の写真が映っていた。そして演歌歌手となった現在は恩返しを行いながら、念願だった演歌歌手としての活動を続けている。そう夢の先にあるものをつかむために。

ジェロの華々しいデビューはメディアでも多く扱われたため、私も何度も見聞きしたのだが、その裏には、家族三代にわたる波瀾万丈と夢があった。その「波乱」は日米間の歴史を象徴づけられているように思えてならず、歴史に振り回されたという印象が強かった。それにもめげず生き続け、そうして演歌が生まれたのかもしれない。本書を読んでそう思えてならなかった。