一日一善

株式会社オトバンク 上田様より献本御礼。
本書のタイトル「一日一善」とは、

「1日に一つだけでも何か善い行いをすること」「広辞苑 第六版」より)

とある。つまり、善い行動を起こすことを心がける言葉であり、行動し続ける事によって人徳を向上することができる。では本書はどうかというと、扉を9つに分けて、一つ一つの法話を紹介している。一つ一つ人間としてのあり方を問うており、善き行いの材料になるような話がまとめられている。言わば「一日一善」の助けとなる一冊と言える。

一枚目の扉「生まれて 歳を重ねて 時に病を患い 他界していく」
人間としての一生の心理を性格に表していると言える。どのような健康状態にあろうとも、必ずと言っても病気に臥せ、やがて他界する。この扉では死に際に収められて「生きる」ことの詩をはじめ、病気になった方々、さらには同窓会や生きることの苦しみなどが語られている。

二枚目の扉「思いやり」
「思いやり」は他人に対して考え・行動することを表しているのだが、その「思いやり」にまつわるエピソードをお見舞い、人形、仕事などを交えて語られている。

三枚目の扉「大事に守っていくこと」
何を守るのかというと、「幼い頃に聞いたおじいちゃん、おばあちゃんの教え」のことを表している。「先人の知恵」もあれば「おばあちゃんの知恵袋」と言うようなことも挙げられる。
私も小さい頃から祖父・祖母から色々なことを教えられていたが(今でも年に1回帰省したときに教えられることが多々ある)、その教えを守っているかというと、自分自身は守っている認識であるが、時として忘れてしまうこともある。
私事はここまでにして本章では年長者の教えのみならず、先人や仏教の教えとして「三日坊主」のあり方や殺生について取り上げられている。

四枚目の扉「地獄と極楽」
地獄と極楽の概念はどこから来ているのかは不明である。仏教でもこの扉の題目と同じように、キリスト教でも「天国と地獄」の概念は存在する(文字こそ同じであれど、根本は異なる)。法話だけではなく、落語にも「地獄」と「極楽」の定義に土江取り上げられているのだが、本章では仏教における「地獄」と「極楽」の定義について取り上げられている。

五枚目の扉「楽しい言葉」
言葉には色々な魔力を秘めている。人を喜怒哀楽に導かせることもあれば、行動できるようになり、逆に行動できなくなることもある。他にも心的な癒しになる事もできれば、心身ともに破壊してしまうような言葉も存在する。そう考えると言葉には諸刃の剣のように思えてならないが。
この扉ではその言葉のなかから「楽しい」と言える言葉が紹介されている。

六枚目の扉「戦争を起こさない心」
人は誰しも戦争を起こしたくないことは一緒である。今年は大東亜戦争が終結して70年の節目を迎え、戦争について考えること、そして戦争を起こさないためにはどうすれば良いのかを考える必要のある年と言っても過言ではない。この扉では戦争を体験された方々の話をもとに戦争を起こさないための考え方を説いている。

七枚目の扉「交通安全」
現在日本中で交通事故が起こっている。その交通事故をいかにして防ぐかも考える必要があるのだが、そもそも交通事故は「魔が差した」と言える様な心的な要因も一つとして挙げられる。その要因をもとにして交通事故から回避するためにどうしたらよいのかを説いているのがこの扉である。

八枚目の扉「こころに残るちょっといい話」
「いい話」は心に残りやすく、それでいて自分自身の励みにもなる。思いがけないエピソードからこの扉の表している「ちょっといい話」が生まれてくる。その「いい話」を積み重ねることによって、人は「善い行動」へと導かせることができるという。

九枚目の扉「東日本大震災に寄せて」
2011年3月11日、三陸沖を中心とした巨大地震が起こった。これは後に「東日本大震災」へと発展した。その震災において、著者は「今、自分にできること」を考えた答えがこの扉に詰まっている。

法話であるたけに、エピソードを交えつつ、人間として生きることとは何か、その本質を見事なまでに突いていると言っても過言ではなかった。本書を毎日1話ずつ読み続けることによって、行動も代わり、習慣・考え方も変わってくる、そのような一冊と言える。