お寺の収支報告書

確定申告のシーズンである。私も確定申告に向けていろいろと準備を進めているが、そのシーズンであるだけに会計の本を手に取ることがある。その中で本書がちょっとおもしろいと思って手にとってみた。

お寺というと、お布施などで利益を上げているのかと思ったが、実際に見てみると、私たちの知らない収益システムが存在するのだという。しかし本書はこれについてポジティブにとらえるのではなく、あくまで「懺悔」として自白している形である。本書は「お寺」をはじめとした仏教界と「お金」の関連性について取り上げられるのと同時に、仏教界の現状について憂いている。

第一章「なぜ、お寺は世襲なのか?」

「お寺は、何のためにあるのでしょうか」(p.12より)

この質問に対して、自分自身も答えることができなかった。有名な寺院の多い鎌倉に住んでいて、散歩するときに行くことが多いのにも関わらずである。お寺というと「僧が修行をする」「お参りをする場所」と言われているが、多くは、本当の意味で僧たちが修行をしている寺院は少なく、なおかつ何のためにあるのかわからない寺院も数多く存在するという。
ほかにも寺院は「宗教法人」として認可されていることから、会計報告も行う必要がある。本章でも、著者が住職として働いている寺院の収支計算書を掲載している。中身に関してはあまり言及しないのだが、お布施や墓地代が収入のより所になっている。
ほかにもお寺の多くは「世襲」と称して、住職を息子に次がせるというような事を行っているが、それにより、優秀な住職や僧侶が少なくなっていると嘆いている。

第二章「「葬式仏教」は、“悪”か?」
仏教における法要として通夜・葬儀、さらには一周忌から○回忌などがあある。その中で法要を行うと、収入があるのだが、第一章でも述べられたとおり、収入のほとんどはお布施によるものである。それを「葬式仏教」と呼ばれる。なぜ「悪」なのかと言うと、葬式のお布施だけではなく、「戒名料」と呼ばれ、戒名を名付けるために必要なお布施がある。この戒名は長ければ長いほどお金がかかると言われている(十万円単位~百万円単位まであるという)。ほかにも墓地を「永代供養料」などの墓地にかかるお金もまた寺院の重要な収入資源である。その収入資源は寺院の裁量で決められるため、それだけで大もうけしている所もあり、それが「悪」と言われている所以であるのだが、最近では戒名は「俗名可」と呼ばれているものがあり、戒名をつけない方もおり、葬式も簡素化するところも増えてきているため、一概に「悪」とは言い切れなくなった。

第三章「仏教という、すごい収益システム」
第二章ではお布施や戒名などの収益源について取り上げてきたのだが、ほかにも私たちの知られていない収益システムが存在する。それが「寺壇制度」「本末制度」というのがあるという。また制度・宗派によっては宗費と称して宗派の本家にお金を納める制度があるという。

第四章「自由な信仰をとりもどす」
元々宗教法人は株式会社とは違い営利目的ではない。しかし前章までの事を見ると寺院と金はなかなかに根深い。その根深い問題をいかにして解決し、本来ある仏教・寺院を取り戻すためにはどうしたらよいのか、著者の立場から考えた改革案を提示している。

お寺と言うと、身近なもののようでいて、実際の所謎な部分も存在した。その「謎」の一つとしてお金については全部ではなかったものの、知ることができた。最も本書のタイトルにある「収支報告書」についても余すところなく公開されているところが非常に興味深かった。

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