民主党政権 失敗の検証 – 日本政治は何を活かすか

2009年8月の政権交代により、民主党政権になり、奪回をすることになった2012年の12月まで約3年4ヶ月の間、民主党が政権を持った。しかしその政権は外交を始め様々な政策をこじらせ、民主党不信はおろか、政治不信を増幅させた。また、国益としても日米関係を揺るがすなど損なう場面も数多く見られた。

民主党が行った失策は大きかったものの、最も大きかったものとして「マニフェストを不履行」が挙げられる。本書は約3年4ヶ月間あった民主党政権の失敗をもとに、これからの政治はどうすべきかを提言している。

第1章「マニフェスト―なぜ実現できなかったのか」
民主党のマニフェストとして2009年の衆議院総選挙において掲げたマニフェストを取りあげている。その中では公共事業の削減などの「ムダ断絶」、「高校無償化」や「子ども手当」「年金制度改革」などが挙げられているのだが、財源捻出というと、「公開仕分け」が有名である。しかしそれらの仕分けを行っても、財源を確保仕切れなかった。そのことが原因もあるが、マニフェストを次々と反故にしていった。もっともマニフェスト自体、実現困難なものだったという意見もある。そういったマニフェストを主導したのは当時民主党にいた小沢一郎だったが、なぜつくったのか、それについて取りあげている。

第2章「政治主導―頓挫した「五策」」
「五策」とは2009年のマニフェストに明記された政権構想であり、

第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。

第2策 各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。

第3策 官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。

第4策 事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。

第5策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。」(「民主党の政権政策Manifesto2009」より)

とある。それらの政策は達成したのかというと、いずれも達成できておらず、政権の最中に崩壊してしまった。ではなぜ崩壊したのか、ひとえに「五策」そのものを実行できるリーダーシップを持った人がいたかどうか、さらに民主党議員が与党としての知識と経験を持っていたかというと、明らかに不足していたという。

第3章「経済と財政―変革への挑戦と挫折」
民主党が政権奪取したときの経済状況は前年の「リーマン・ショック」のあおりを受けた低迷を引きずっている様な状態だった。その中での経済政策はどうだったのか、背景は先述のリーマン・ショックのほかにも2011年に起こった東日本大震災やソブリンリスクを端に発したヨーロッパ各国の財政非常事態により、景気は回復する兆しすら見せることができなかった。
状況が悪いと言ってしまえばそれまでになってしまうが、悪い状況の中でも財政政策を行い、日本の景気を回復させるということは経済政策を実行するために重要なことであるのだが、民主党政権下では様々な対策を講じてきたと言っても、ほぼ「無策」だったと言われる始末であった。

第4章「外交・安保―理念追求から現実路線へ」
民主党政権下で最も大きな失敗というと「外交・安保政策」としか言いようがない。自民党政権の中でまとまりかけていた普天間基地移設が、鳩山政権下にてこじれてしまい、現在に至っている。もっと言うとそれが引き金となり日米関係にこじれてしまった。ほかにも尖閣諸島付近で起こった中国漁船衝突事件などでも「弱腰外交」を象徴づけるものとなった。

第5章「子ども手当―チルドレン・ファーストの蹉跌」
「蹉跌(さてつ)」とは、

「つまずくこと。失敗し行きづまること」「大辞林 第三版」より)

とある。ここで言う「子ども手当」における「蹉跌」とは何なのだろうか。それは子どもを社会で育てることを念頭に置き、確定申告で行う「控除」から、実際に「手当」という形で実行しようとしたのだが、第1章にて財源の確保が難しくなり、暫定的に実行できたに過ぎなかった。

第6章「政権・党運営―小沢一郎だけが原因か」
政権運営の中で常に槍玉に挙がっていたのは、首相以上に小沢一郎の存在である。西松建設からの献金疑惑、及び「陸山会事件」である。後に検察が強制起訴をした。
党運営がギクシャクしたのは小沢一郎のことばかりではない。民主党、もとより民主党幹部勢が、他人の足の引っ張り合い・対立が多く、民主党内の結束ができていなかったこと、さらには党内部や連立政権内でも内部分裂をするようなことが度々起こり、国民置き去りの様相を見せることも度々あった。

第7章「選挙戦略―大勝と惨敗を生んだジレンマ」
民主党が政権獲得できた要因、それは選挙戦略にあったと言える。もっとも2007年の参院選の大勝は当時の代表だった小沢一郎の選挙戦略が発揮された形となった。その勢いは党代表が変わっても続き、2009年に政権交代を実現させた。しかしマニフェスト実行について疑問符が出てき始めた2010年の参議院選挙から一気に陰りを見せ、ねじれを生み出してしまった。その後選挙戦略もうまく行かなくなり、2012年に政権を失うことになった。

本書は民主党政権の失敗を取り上げつつも、「他山の石」として政権を担うためにはどうしたらよいのかを説いている。また本書では民主党が再び政権を握るための提言も行っているのだが、今の状況を見て、それを教訓にしているのか甚だ疑問としか言いようがない。