モラル・ハラスメントの心理構造

「ハラスメント」には様々なものがあるのだが、その中でも本書では「モラル・ハラスメント(通称:モラハラ)」について取り上げている。「モラル・ハラスメント」とは、

「モラルによる精神的な暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある」Wikipediaより)

とあり、「あなたのため」ということを言葉に出したり、意識して相手にとって不快なことを行ったりすることにある。しかしセクハラやパワハラとは異なり、「あなたのためを思って行っている」ということから、無意識にハラスメントを行い、相手を苦しめているため、厄介なものである。本書ではなぜ「モラル・ハラスメント」が起こってしまうのか、その背景と心理、そして対処策について取り上げている。

第1章「モラル・ハラスメントによる悲劇」
「モラル・ハラスメント」はなぜ起こるのか、そこには見せかけの「愛」、あるいは自分自身にある固定観念・常識の押しつけによって起こる。ほかにも衝突を避けるような言葉や行動を選ぶ、いわゆる「オブラート」をすることもまた、モラル・ハラスメントの引き金を引いてしまうことになる。
それらがなぜ「悲劇」となってしまうのか、理由はいくつかあるのだが、時代の変化による親子間の心的理解が欠けていることなどが挙げられる。

第2章「モラル・ハラスメントの特徴」
「モラル・ハラスメント」の特徴として何が挙げられるのか、一例を挙げると、

他人の不幸を喜ぶ人(p.70より)
不安から逃れたい人(p.83より)
心理的に弱い人(p.99より)

とある。上記の中でも「心理的に弱い人」や「不安から逃れたい人」というような方々だと、自覚をすることは非常に難しく、なおかつ、発見することができないケースも存在する。

第3章「モラル・ハラスメントの心理的罠」
「モラル・ハラスメント」が起こる要因には、ある心理的な「罠」が存在する。その「罠」は「美徳」「正義」「良識」、そして第1章にも取り上げた「愛」などが挙げられる。一見正しい感情や考え方のように思えるのだが、それが一種の「圧力」として相手にかけ、それがハラスメントとなってしまう。

第4章「モラル・ハラスメントはなぜ危険なのか」
最初にも書いた「モラル・ハラスメント」は厄介なものである。その理由はいったい何なのか。理由は様々であるが、「抗議できない」「理解が得られない」「罪悪感が生まれる」というようなものがある。そのため、自分自身が「モラル・ハラスメント」を受けているが、相手に伝えられない、伝えたとしても認知されないことが多いため「厄介」である。

第5章「モラル・ハラスメントとの戦い方」
その「モラル・ハラスメント」と戦うためにはどうしたらよいのか、一つに「本音を持つ、そしてさらけ出すこと」が挙げられる。もちろんそういったことをやると「戦い」の様相を見せてしまうのだが、それがないと、本当の意味で信頼関係が生まれないし、心的負担がかえって大きくなってしまう。もちろん戦うだけではなく、「逃げる」こともまた一つの手段である。

「モラル・ハラスメント」ほど今の日本に蔓延しやすい環境は無いといえる。自分自身の持っている「本音」を隠す、あるいはなくすことによって、人間関係を表面的に円滑にする。しかしそれは「モラル・ハラスメント」を生み出す地雷原になってしまっているのかもしれない。その地雷原を取り除くためには、自分自身の「本音」を持ち、躊躇することなくぶつかることができることが大切である。