会社を支配するのは誰か―日本の企業統治

「企業統治」はカタカナに直すと「コーポレートガバナンス」という。それは何なのかというと、

「会社の不正行為を防止、あるいは適正な事業活動の維持・確保を実現すること。具体的には取締役など業務執行機関に対するチェック-システムとの関連で問題とされる。」「大辞林 第三版」より)

とある。では誰がそれを防止・チェックを行うのかというと、企業内の監査役、さらには外部では公認会計士、さらには株式会社だと株主がいる。

しかし本書のタイトルには「支配」とある。前述のチェックや防止を行っているのが支配者となるのか、それとも企業の代表たる代表取締役が支配者なのか、もしくは株主総会で投票権を持っている株主なのか、定かではない。しかし会社支配のありかと歴史について国内外の観点から向けてみると分かるのかも知れない。そのことについて本書では考察を行っている。

第1章「企業統治の問題を生み出してきたもの―株式会社制度に潜む」
今となっては当たり前に存在する「株式会社」であるが、元々株式会社ができたのは1893年(明治26年)に設立された日本郵船が始まりとされている(一般的な会社法規における設立による)。それから株式会社が続々とでき、「株式会社」の概念が日本に広がりを見せた。
元々株式会社の概念は西欧にあったのだが、その中で株式会社制度における「企業統治」もまた1960年代にアメリカにて生まれ、発展していった。
本章で取り上げられているのは「企業統治」というよりも「株式会社制度」についてが中心であり、アダム・スミスと出光佐三の2人の「株式会社」に対する考え方について取り上げている。とりわけ後者について、現在出光興産は東証1部に上場しているのだが、上場したのは2006年、出光佐三が亡くなった後の事である。なぜそうなったのか、そこには出光佐三ならではの経営思想があったからとされているのだが、資本主義そのものにも言及されているので非常に面白い。

第2章「日本の企業を作りあげてきたもの―労働組合とミドルの力」
日本における企業について本章では労働組合などを取り上げているが、その背景としては経営者をいかにして選任・解任していくかを焦点に当てている。その一例としてかつてあった「三越」「ヤマハ」「セイコーインスツル」における社長解任劇が取り上げられている。それぞれ社長解任のアプローチも異なっている所が興味深い。

第3章「日本の組織を作りあげてきたもの―江戸期の商家・武家における統治」
今度は株式会社というよりも、それに限らず「組織」において、その概念が日本における企業統治にどのような影響を及ぼしているのかを取り上げている。第2章であった株式会社における社長解任劇につづいて、第3章でも武家や商家における主の解任劇も取り上げられていることから、「解任劇」は株式会社の概念あるなしに存在していたことが良く分かる。しかし解任のアプローチの仕方も異なってくるもので、「下克上」や「クーデター」というように思えてしまうのだが、商家にしても、武家にしても上下秩序が存在したうえでの解任劇が行われているため、必ずしも「下克上」とは言えない。

第4章「米国の企業を作りあげてきたもの―ヘンリー・フォードの哲学」
最初にも書いたとおり、元々「企業統治」の概念は1960年、アメリカによって作られた。その背景には「公害」「人種差別」「武器製造」「独占」「欠陥商品」などそれぞれの批判が相次ぎ企業の倫理・人道的な面で反する行為を抑止することから用いられるようになった。
どこで使われるようになったのかと言うと、当時「ビッグスリー」と言われていた「ゼネラルモーターズ」だった。本章ではその「ゼネラルモーターズ」の企業統治がいかにして使われてきたのかについて取り上げている。

第5章「日本の企業を作りあげていくもの―真の解決に向かって」
「企業統治」は日本においてどのような効果をもたらすのか、そしてそれがある事によって企業はどのように発展していけば良いのか、本章では「ソニー」などの事例を元に取り上げられている。

「企業統治」や「コーポレートガバナンス」といっても具体的にどのようなことを行っていけば良いのか分からない方も少なくない。もっと言うと「企業統治」が果たして日本の企業に役立っているのかどうかすら分からない。そういう言う方向けに、現在の「企業統治」がどのように成り立っていったのか、そしてどこに問題点があるのか、それをあぶり出した一冊と言え、これからの企業統治を考えるに格好の参考材料となる一冊と言える。

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