日本人はなぜ妖怪を畏れるのか

昨年・一昨年あたりから「妖怪ウォッチ」のブームが起こっており様々なメディアで取り上げられるほどである。それに限らず「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめとした妖怪を扱うマンガ・アニメ作品は数多く存在する。
「妖怪」を取り上げられるような作品は今でこそ親近感があり、ブームと呼ばれているのだが、実はある種の「リバイバルブーム」であるという。ではその前にいつ頃ブームが起こったのかと調べてみると「井上円了(いのうええんりょう)」によってもたらした明治時代にまでさかのぼるという。その明治時代における「妖怪ブーム」とは何か、そして井上円了はどのような人物で「妖怪」とどのような関わりがあったのか、そのことについて

第一章「井上円了はいかに妖怪博士となったか」
最初に井上円了という自分物について触れておきたい。元々円了は哲学者であり教育者であり、なおかつ後の東洋大学となる「哲学館」の創立者であった。
哲学者として有名な円了だったのだが、それ以上に「妖怪博士」という異名がつけられた。その理由は小さい頃から妖怪に関する話を好み、なおかつそれを疑うことを好んでいたという。それが哲学・宗教学を専攻してから体系的に「妖怪」について研究をすることになった。それが後の「妖怪学講義」となっていった。本章ではその中の一つ「こっくりさん」を科学的に検証したことについて取り上げている。

第二章「哲学館の創立と「妖怪学」講義」
円了が哲学館を創立したのは1887年のことである。その2年前には東京大学(東京帝国大学になる前の大学、「旧東京大学」とも呼ばれる)を卒業した。そこから哲学研究と妖怪研究の両輪で活動を行っていた。
ちなみに「哲学館」は文字通り哲学に関することを学ぶ場出会ったのだが、ほかにも心理学はもちろんのこと、妖怪について学ぶ授業も存在した。その後明治26年(1893年)ごろから「妖怪学講義」が刊行されることとなった。

第三章「妖怪学とはなにか」
「妖怪学講義」以前にも円了は妖怪に関しての論文を発表している。最初に取り上げたのは第一章にて取り上げた「こっくりさん」であり、明治20年(1887年)5月に発表された。それから円了は大正8年(1919年)まで数多くの妖怪に関する論文・講義録を発表した。
では「妖怪学」とはどのようなものかというと、古今東西の妖怪について「どのような妖怪が存在するのか」「妖怪はどのような心理・想像で生まれてきたのか」など「妖怪」にフォーカスしながら多角的に考察を行っている学問といえる。しかも考察の範囲も「哲学」「心理学」「医学」「科学」「宗教学」などがあるため、幅広いともいえる。
ちなみにこの「妖怪学」を体系づけるために検討した資料も、

「第一、全国の有志から寄せられた各地の妖怪報告
 第二、実地に研究した、コックリの件、催眠術の件、魔法の件、白狐の件等
 第三、北海道から九州までの全国各地で直接見聞したもの
 第四、古今の妖怪についての数年間にわたる文献調査」(p.70より)

などがあげられている。

第四章「もうひとつの妖怪考 柳田国男」
妖怪について取り上げたのは円了だけではない。民俗学の創始者であり、第一人者であった柳田国男もまた妖怪について研究した人物の一人であった。柳田が生み出した代表作として岩手県の言い伝えを本にした「遠野物語」、さらには石神などの神や御霊に関する研究を行った「石神問答」がある。それぞれ妖怪もあるのだが、基本的には円了は「哲学」「宗教学」から妖怪を取り上げているのに対し、柳田は「民俗学」の観点から妖怪を取り上げている。

第五章「柳田国男の妖怪学」
しかし柳田本人は、妖怪学は民俗学の一つであり、学問とはなり得ないという。もっというと「妖怪」と「幽霊」を混同してしまっていると指摘している。ほかにも柳田は「妖怪学」の道筋を説いた円了に対してもことあるごとに批判を行っており、「遠野物語」でも遠回しに円了に対する反感を表明しているという。

第六章「日本人はなぜ妖怪が好きなのか」
妖怪ブームは明治時代にあったのだが、現在と何が違うのか。前者の場合は正体不明だった妖怪を体系的に取り上げたことに対するブームだったのに対し、現在の場合はアニメなど取っつきやすい、あるいはポップな形で愛されている印象がある。ほかにも「宗教意識」についても明治・現代と差があることについて本章にて指摘している。

本来であれば「恐れる」という意味合いで恐怖の概念を妖怪に対して持っている印象があるのだが、ポップかつコミカルなマンガ・アニメによって「恐れ」というよりも、敬服の意味合いも込めての「畏れ」と表していると考えられる。元々日本には「日本霊異記」をはじめとした霊や妖怪に関して、関心があったのだが、それを学問として体系的にしたのが井上円了といっても過言ではない。

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