ことばの力学――応用言語学への招待

「言葉」には様々な国の言葉もあれば、「方言」など地域独特の言葉が存在する。そう考えるとなぜ方言・国語など「言葉」は多種多様に存在するのか、そして人が織りなす社会の中で「言葉」はどのような役割を担っているのか、それについて考察を行っている学問として「応用言語学」なるものが存在している。しかし「応用言語学」と聞いてもあまりピンとこないので、本書でもって、どのような学問なのかを紐解いている。

第Ⅰ部「多言語状況」
ここでは日本語などでも使われる「標準語」と「方言」の違い、日本語に限らない「言葉の乱れ」、いろいろな言語を操る「バイリンガル」などについて取り上げている。
その中で気になったものとして明治期に「方言撲滅運動」が存在したことにある。廃藩置県以前はそれぞれの「方言」、いわゆる「お国言葉」が存在しており、それが全国民との統率がとれず、言葉の観点から国民に統一感を持たせることから「標準語」を習得させる。その習得の中で不要な「方言」は撲滅すべきということから運動があったという。それが果たして浸透したのかどうかは不明だが、第二次世界大戦後、メディアの発達によって標準語が明治時代以上に浸透していった現状があるという。方言ではないのだが、言語の中には消滅の危険性のあるものもあり、その一つとして本章では「アイヌ語」が取り上げられているのだが、その風潮から防止するために北海道ではラジオ局などでアイヌ語でもってニュースを放送するといったことも行われている。

第Ⅱ部「社会の中の言語」
言語は絶えず変化している。しかしその変化は時として相容れられないようなことがあり、それが「言葉の乱れ」として扱われることもある。その「言葉」を決めるものとして、人々の「思考」によって決めるのだという。また言わなかった言葉について受け手の「推測」によって補い、やり取りを行っている。言葉のやり取りによって他人に物事・考えを伝えたり、共有したりすることができるツールの役割を担っている。しかし言語によっては普通の人には理解できないものもある。しかしその理解できないものは社会的に密接なかかわりを持っている。何かというと「法律用語」である。法律用語は言葉そのものも難しいのだが、それ以上に難しくしているのは「法解釈」と言って解釈の余地があり、状況や証拠、そして法律を扱う人(弁護士や裁判官、検事)の思想が相まって異なる解釈が生まれ、それが判例となって表れる。また社会には言語をうまく受け取る事が出来ない「失語症」や「失読症」などの「言語障害」も存在する。

「言語」とひとえに言っても様々なものがあり、その言語がいかにして役立つのか、それについて考察を行った学問であることは最初にも書いたとおりである。しかし「応用言語学」の学問はその「言語学」の発展形としてあるのだが、日本語に限らず様々な言語、さらには言語のみの範疇ではなく、科学などほかの学問にて扱われる言語についても考察を行っている学問である。本書はその入門書の立ち位置として紹介されている。