連邦国家 ベルギー――繰り返される分裂危機

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ベルギーはヨーロッパの国々の中にある国だが、フランス、イギリス、オランダに挟まれていることから「ヨーロッパの十字路」という名がついている。そのこともあって、フランスやドイツの関係によってベルギーが独立する前後で交易の拠点になったり、戦争に巻き込まれたりすることがあった。
独立後はヨーロッパの一国としての役割を担ってきたのだが、歴史的な背景から分裂の危機にあったことが2度もあったのだが、日本のメディアではそれについてまったく報じられていない。本書は知られざるベルギーの分裂危機とその背景について迫っている。

第1章「連邦国家ベルギーの輪郭」
ベルギー王国は国王がいるため君主制を敷いていたが、長らく言語戦争(オランダ語系住民とフランス語系住民の対立)が続いたため「連邦制」を敷くようになり、現在は「連邦立憲君主制国家」となっている。そうなったのは1993年とごく最近のことであるのだが、その連邦制は3分割となっており、北部にある「フランデレン地域」、南部にある「ワロン地域」、そして首都である「ブリュッセル地域」の3つがある。さらに公用語も「オランダ語」「フランス語」「ドイツ語」と3つ存在するという。その3つの地域・共同体によって成り立っているのだが、それが連邦制にとって複雑なものになってしまい、分裂危機の要因にもなっている。

第2章「どのように交渉過程を分析するか」
分裂を脱するために複雑な交渉を続けてきたのだが、その複雑な交渉の過程はどうであったのか、本章ではその分析の枠組みから手法に至るまでのことについて明かしている。

第3章「1990年代のベルギーの政治」
1993年あたりに現在の連邦制ができ、その時から複数の政党の小競り合いが続いていた。与野党の政権交代も起こり、そのあおりを受けて、経済的にも社会的にも不安定なものになっていった。

第4章「2007年分裂危機」
その不安定のまま時代が進み、2007年を迎えるのだが、分裂危機の引き金となったのは6月に行われた議員選挙だった。1990年代の選挙にて政権を奪取した与党が敗北し、政権がさらに不安定となり、党内外との交渉も難航し、国王による調停まで出てくるようになった。その複雑化した状況の中で水面下による調整が行われたのだが難航に難航が重なり分裂危機に陥ってしまった。

第5章「2010年分裂危機」
厳密に言えば分裂危機というよりも「ベルギー政治危機」である。国王主導の暫定政権からめまぐるしく政権が変化し、政治体系がさらに不安定なものになってしまっていった。政権の変化が目まぐるしい中で「連立政権」を構築するなど盤石化する策も講じようとし、交渉を重ねたが、今度はそれにより「政治危機」に陥ってしまった。

今でこそヨーロッパはギリシャを発端とした対立が表だって起こっているのだが、ベルギーの分裂危機についてはその陰に隠れている印象がある。しかしその陰に隠れていたものを知ることによって、ヨーロッパというよりもEUという共同体は様々な綻びが存在するように思えてならない。本書は知られざる綻びの実態を知ることのできる一冊と言える。

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