昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち

今年で高校野球が始まって100年経つ。現在も夏の甲子園が開催されており、毎日白熱した試合となっている。この100年目の節目に高校野球でも監督の勇退など様々な出来事が起こっており、私自身も目が離せない。

その100年の歴史の中で大東亜戦争をはじめとした戦争など様々な出来事にさらされながら、高校(大東亜戦争前までは中等)球児たちの夢舞台だった。しかし途中日中戦争・大東亜戦争・大正米騒動が起因となり、中止になることがあった。

本書はその中止となった年の一つである1942年(昭和17年)について取り上げられているのだが、この年は大東亜戦争の真っ只中であり、夏の甲子園は中止となった、しかし通算記録に数えられていない「全国中等学校野球大会」というのが行われたのだという。俗にいう「幻の甲子園」と呼ばれるものであるが、本書はその経緯と各試合の試合内容について取り上げている。

「夏の甲子園」の正式名称は「全国高等学校野球選手権大会(大東亜戦争前までは「全国中等学校優勝野球大会」と呼ばれていた)」なのだが、1942年の野球大会はもともと中止だったのだが、代替開催として「全国中等学校野球大会」が行われたのだが、大会の回数などの事で文部省が却下されたことから主催は文部省だけとなった(本来は文部省・朝日新聞社の共同開催)。

話を戻すが、その「全国中等学校野球大会」では北海道から大分、さらには当時日本統治下にあった台湾と合計16校が参加することになった。

結論から言えばこの甲子園で優勝したのは徳島商業だったが、このとき優勝旗は送られず、優勝の賞状1枚だけだった(しかもその賞状は空襲により焼失した)。他にも大東亜戦争のさなかにあったことから細々としたルールが設けられており、現在行われている夏の甲子園とは一線を画した大会であったという。

ちなみに本書の内容はBS朝日にてドキュメンタリーとして放送されており、高校野球の100年の歴史において「幻」ではありながらも欠かすことのできないエピソードと言える。