仮説の検証 科学ジャーナリストの仕事

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私自身、昨年の小保方問題にて「科学ジャーナリズム」とは何なのかを考えるようになった。科学ジャーナリズムといえば、科学における新発見や事件などについて、テクニカル、なおかつわかりやすく伝えつつ、批判的に考察を行うという立場にあるのだが、実際に一連の小保方問題を見ていて疑問に思ってしまったことから本書を取り上げた。

本書はNHKのディレクターとして、解説委員として、科学ジャーナリストとして生きてきた方が、実際に科学報道がどのようにして取り上げていったのか、そして今ある科学報道の闇とは何か、そのことについて自らの体験をもとに綴っている。

第一章「ドキュメンタリーのコツをつかんだ―「あすをひらく『白い送電線・着雪事故を防ぐ』」」
本章のサブタイトルは実際に放送されたドキュメンタリー番組だが、放送されたのは今から44年も前の1971年のことである。どのような番組なのかというと、雪により送電線を支える鉄塔が倒れたり、雪により停電事故を引き起こされたりすることがあるという。いわゆる「着雪事故」と呼ばれる類なのだが、なぜ引き金になったのか、そして事故になるメカニズムはどのようなものなのか、そのことについて取り上げるとともに、著者がディレクターとして担当し、「ドキュメンタリー」について開眼したきっかけになったというが、そのことについても回顧している。

第二章「視点がいのちと知った―特集「稲がまたみのるとき」」
本章の特集は1974年の11月に放送された「稲がまたみのるとき」が中心となる。これは当時高度経済成長期の裏にあった「四大公害病」の一つである「イタイイタイ病」の要因となったカドミウムに汚染された水田を復元するための実験を取り上げた特集である。イタイイタイ病は、

「岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山の製錬に伴う未処理廃水により、神通川下流域の富山県で発生した公害」(Wikipediaより)

とあり、主に富山県を中心に発症し、発生源の岐阜県の三井金属鉱業を相手取り集団訴訟になった件である。その復元へのプロセスの中で視線が「いのち」に着目したものを知ったことについて綴っている。

第三章「こだわりの取材がチャンスをつくる―NHK特集「世界の科学者は予見する・核戦争後の地球」」
今となっても「核」に関する議論が今も絶えないのだが、戦後間もない時にも核国で核実験が行われ、1952年のビキニ環礁における水爆実験では第五福竜丸に乗っていた日本人乗組員が死亡してしまうという痛ましい事件があった。
それでもなお世界では核廃絶の動きを言葉で示していても、実際に廃絶への行動ができているとは限らない。しかし核廃絶に向けて何かを発信していくことは必要なことであるのだが、その一つとして著者は本章のサブタイトルにある番組を企画し、1984年に放送された。放送に向けてどのようなこだわりをもって作っていったのか、そのことについて取り上げている。

第四章「自己規制を排し、視点を世に問う―ETV特集「検証『核の冬』」」
本章のサブタイトルにある番組は1985年11月に放送されたのだが、その前に第三章にある番組についてある団体などから「公開質問状」がいくつか届いたのだという。実際に放送直後に様々なところから「偏向」などという批判があった。本章ではそれについて検証するために組まれた番組として取り上げていったのだが、そこには「批判」だけではなく、「自己規制」という壁があったのだが、それを一つ一つ乗り越えながら放送を作っていったという。

ジャーナリズムのみならずテレビ局そのものが最近になって番組制作の「外注化」が進んでおり、私たちにとって興味深い、それでいて、深い次元で楽しむことができる番組が少なくなった。もとい科学ジャーナリズムも科学と社会との関係性は何かというよりも、研究者の簡単なパーソナリティにばかり着目し、そしてねつ造についてはしつこく同じようなものを取り上げたがる。それで科学ジャーナリズムが成り立つのか疑わしい。実際に昨今出ている科学報道について著者はどう思っているのか、それについても聞きたくなった。

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