ノマド化する時代

以前、フリーランスの「ノマドワーク」が話題となったが、これについて賛否両論が上がっている。実際に私自身はというと、それできちんと結果が伴っていれば何も言わないのだが、他人に迷惑のかけることだけはやめてほしいというのが実情としてある。

さらに言えば「ノマド」はそういった快適な形ではなく、むしろ「遊牧民」としての過酷な生活を強いられている印象、そして生存競争が激しい印象がある。これについては3年前に取り上げた「女ノマド、一人砂漠に生きる」という本にてリアルノマドの現状につてありありと伝えられているので、ここでは割愛する。
そんなノマドの現状はいったいどうなのか、そして本書のタイトルにあるように現代は「ノマド化」しているのか、本書ではノマドの概論から現在ある「ノマド」の現状とともに考察を行っている。

第1章「ジャック・アタリのノマド論」
そもそも「ノマド」は「遊牧民」という意味であるが、そもそも遊牧民は居場所をたびたび移動しながら過酷な生活を強いられている。しかもその「移動」は国内だけではなく国外にもいくようなこともある。
ちなみに現在で言えば「ノマド」はインターネットで渡り歩くように仕事をするようなこともある。そこでジャック・アタリの「ノマド論」である。なぜアタリなのかというと、「21世紀の歴史――未来の人類から見た世界」という本の中で全ての人がノマド化されてしまうと予測したところにある。この原因として「グローバル化」や「国家の終焉」が挙げられている。

第2章「グローバルエリートとしてのノマド」
大学を出て企業に就職するのだが、中には世界各地で転々として活躍する人もいる。そういった人が本章のタイトルにあるような人を指しているのだが、日本人でもそういう人が出てきてはいるものの、いまだに少ない。しかしお隣の国韓国ではそういったグローバルエリートとしてノマド化している人は少なくない。そこには1997年頃に起こった「アジア通貨危機」が挙げられる。

第3章「ノマド化する業務と下層ノマド」
日本で行われた仕事が海外に流出するようなことが今に始まったことではないのだが、最近その傾向が強まってきている。いわゆる仕事・業務が海を越えて「ノマド」となっているのである。どのような業務というと知る限りではシステムにおけるコーディング業務やアニメのアニメーション作成業務、さらにはオペレーター業務、工場による製品作成業務などが挙げられる。その要因として人件費の削減などが挙げられる。
そういった単純業務だけがノマド化するとは限らず、外資系を中心に世界各地にコンサルティングファームをつくり、高度なノマド化して業務を進めるような企業も存在する。

第4章「起業家ノマド」
日本では飽和状態にあるということから発展途上国に移住し、そこで起業する、いわゆる「起業家ノマド」もいる。有名な例を挙げると「裸でも生きる」という本を生み出した山口絵理子氏が挙げられる。しかしなぜ「起業家ノマド」が生まれたのか、本章では具体的に起業している方々の取材を通して取り上げている。

第5章「次世代のノマドを育てる」
「ノマド」を育てるとは何かというと、幼少のころから海外に住み、外国の文化を取り入れながら子育て・教育を行うような家庭も出てきている。もちろん日本でも子供をインターナショナル・スクールに入学させるといったケースもあるのだが、本章では親子で海外に留学した事例を中心に紹介している。

第6章「ロケーション・インディペンデント(デジタルノマド)」
「ノマド」は別に仕事や家族などを物理的に移動する概念だけではない。最近ではクラウドを介してインターネット上で仕事をもらい、実行するケースも出てきた。特にそれはフリーランスにて受け持つ人が多いのだという。本章ではそういったノマドワーカーについて取り上げている。

第7章「ノマド化する時代を生きるためのヒント」
「ノマド」というとフリーランスと同じく甘美な表現としてやり玉に挙げられることが多いのだが、そもそも私自身が思っているのは自分自身で稼げるようになっていないと、この先やっていけない。会社員であったとしても定年になるまで保証されることはなくなり、国でさえも国民を支え切れるかというと怪しくなってきている。さらに言うと「ノマド」は自由な形のように思えて、その自由には強い「責任」が求められ、なおかつ安定的に稼げる保証は何も存在しない。むしろ「サバイバル」という言葉が似合うのが、今の「ノマド」である。
おそらくこれからは第1章で取り上げたジャック・アタリの予言がその通りになり始める。そのような状況の中で私たちはどのように生き抜けばよいのか、それは会社や団体の傘にいるよりも、自分自身に何ができるのか、相手に対して何を貢献できるのかを見出し、いつでもどこでも活躍できるような準備を進めること、そして自力で稼げるようになることが挙げられる。

本書は「ノマド」を提唱しているわけでも、「ノマド」を批判してるわけでもない。むしろこれから「ノマド」になってしまう、そのような状況下であなたは何を知り、何を身に着けるべきかを提示した一冊である。もちろんそういった社会になることを願っているわけではなく、むしろ社会的にそう変わっていくということを予測して提示しているのだが、それを受け入れるかどうか、そして「ノマド化」した時代に対応できる力を身につけるかどうかは、あなた次第である。