「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!

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今の世の中は「生きづらい」と言われている。それはどういうものなのかというと、小さな綻びや不正をあたかも大事のように叫び、萎縮してしまったことから起こったものである。その生きづらさにより双方追い詰められてしまい、「共倒れ」の状況に陥ってしまう。

その「生きづらい社会」、そして「共倒れ」と呼ばれる社会からいかにして脱していけばよいのか、本書では倫理学の観点からひも解いている。もちろん倫理学は哲学に近く、とっつきにくいところがあるため、第2章で倫理学の基礎を解説しながら取り上げることとなる。

第1章「生の無条件の肯定という企て」
「生の無条件の肯定」といわれると何が何だかわからない方もいるだろう。簡単にいうと、

「あなたはあなたなんだから、そのままでいいんだよ」(p.18より)

というものである。生きづらい人にとっては救いの言葉のように見える人もいれば、「とんだ甘言」と切り捨てる人もいるかもしれない。しかし自分自身の「存在」や「価値」「条件」はあってないようなものであるが、現実論としては言葉はでは肯定できていても、実際にはそうとは言い難い。

第2章「倫理とは何か」
本章に入る前に「倫理」や「倫理学」のことについて説明しておく必要がある。辞書的に取り上げると、

「人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳」「広辞苑 第六版」

とあり「道徳」と同じ意味と言える。法律では縛るというよりも、人間としてのあり方をしているものといえる。しかし本章では「処世術」ではなく、あくまで「いかに生きるべきか」を問い詰めているもの・学問である。
そして本書のメインテーマの問いに入るのだが「共に生きる」ためには「他者」が必要になってくる。その他者は友人だったり、恋人だったりと人それぞれだが、「共に生きる」概念を執拗に追い求めすぎてしまい、無理心中を行うなどの「共倒れ」が起こってしまうという。なぜ「共倒れ」となってしまうのか、その原因には現在の「社会」がそうさせているのだという。その社会は「豊か」ではあるものの、その「豊か」の犠牲になったものもあるという。

第3章「犠牲の問題として障害者問題を考える」
豊かさの後に「犠牲」が出てくるという話をしたのだが、本章における「犠牲」として「障害者」を取り上げている。その要因として一人一人が我慢を強いる概念があるという。さらには先天的な障害があるかどうか、さらには災害における生と死を分別する「トリアージ」などの「生命の選別」、そして「尊厳死」についても本章にて取り上げている。

第4章「倫理学の再構築」
倫理学は今も昔も変化しているのだが、その中でどのような変化が求められているのか、その答えは「社会の変化」の中にある。その社会の変化に対応できるように再構築できているかどうかに倫理学の未来がかかっている。

「生きづらい社会」と呼ばれる現代だからでこそ、倫理学ではそれを打破するための理論を構築する必要がある。しかしそのために、どのようにして構築していけばよいのかわからない部分もある。その点を補う一冊として本書があるといえる。

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