子どもと話す マッチョってなに?

「マッチョ」と言う言葉は筋肉質な方々のことを表していると私は考えるのだが、本書は単に「マッチョ=筋肉質」だけではないのだという。その「マッチョ」の本質とはいったいどのようなものか、そしてそれが「性差別」の要因となっているのはなぜか、さらに現在の男女の差はいったいどこにあるのか、そのことについて取りあげている。

第一章「マッチョ、性差別、押し付けられる規範」
「マッチョ」は、

「男っぽいさま。また,男らしい男。たくましい男」「大辞林 第三版」より)

という意味があり、元々はスペイン語のmachismo(マチスモ)から来ている。しかし、そのmachismoという言葉は、

「「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合いがある。 イデオロギー(政治的信条)としては「タカ派、右翼、保守、男尊女卑」といったものと結びつきやすく、「ハト派、左派、リベラル、両性平等」といった信条は軟弱と退けられる」Wikipediaより)

とある。性差別の象徴としての「マッチョ」というと、イデオロギーから出ている。

第二章「歴史を少しばかり」
男女の平等化は世界的な風潮になっているのだが、それはごく最近のことであり、

「何しろつい最近まで、女性にはズボンをはく権利すらなかったんだからねぇ。これ本当なんだよ。たかだか一世紀くらいしか経っていないんだから。その頃の女性たちは法的には未成年と見なされていた」(p.45より)

とあるように女性は男性の一段下、あるいは一生未成年というような扱いだったという。とはいえ、その前にも1791年の「女性および女性市民の権利宣言」という本をオランプ・ド・グージュが上梓したように、女性の権利を主張する論者は前々から存在した(もっともオランプが女性権利の先駆けと言われているが)。オランプが主張した当時はフランス革命が勃発した後だったのだが、その当時「女性権利」の主張は「過激論」として扱われていた。その後19世紀半ばになると女性における政治的な権利を主張する声が高まり、20世紀になって女性の権利が担保されるようにあった。

第三章「今日の男女不平等」
今となっては政治的にも労働的にも男女の平等化は進んではいるものの、未だに「不平等」と主張しているフェミニストも少なくない。その理由としてフェミニストも千差万別であり、完全な「男女平等」を主張しているフェミニストもいれば、「女尊男卑」を求めるフェミニストも存在しているためである。

第四章「フェミニストの闘い」
「フェミニスト」というと、みんな主張者は女性かと思われてしまうが、荻上チキのように男性でフェミニズムを主張している方も存在する。本章では現在も行われているフェミニストの闘いはどうであるかを取り上げている。
「マッチョ」という言葉を調べてみたら身体の事を表しているだけではなかったことは私自身も知らなかった。

もっともそれが政治的なイデオロギーの一つとして扱われ、なおかつ「男尊女卑の象徴」であることも知ることができた。ただ、フェミニズムを主張する方々が、そのこと・風潮を批判しているかどうかまでは知ることができなかったものの、世界的な男女差別として「マッチョ」があることを知ることを本書でもって知ることができる。