親子共依存

マザコンやファザコンのように子どもが親に依存をするようなものがあるのだが、親もまた子どもに依存するような状況があるという。むしろ後者の方が急増している傾向にあり、かねてからあった「お受験」のほかに大学進学、就活にまで親が顔を出すような現状にある。その現状は「総子ども化」の一部であるという。本書はその問題点について教育・家族などの観点から提示している。

第1章「親ラブ族、急増中!」
時期によっては親に対して反抗的な態度をとる「反抗期」が存在する。しかし最近ではその反抗期すら起こらないような状況になっている。親に依存するというよりも、友人以上に相談相手、さらには仲良しの関係にあるようなこともある。10数年前にある番組で「友だち親子」というのが取り上げられていたのだが、そこから発展して「ラブラブ親子」に発展していっている。

第2章「いつまで一緒にお風呂に入ってるの?」
子どもが親と一緒に風呂に入る時期は世帯それぞれによるが、だいたい小学校高学年あたりというイメージがあるのだが、現在となっては高校生や大学生、さらには大人になっても親と一緒に風呂に入っているという。著者は、

「これは、相当おかしい。思春期を過ぎても親子で一緒にお風呂に入るという現象は、ほほえましいどころの話ではありません」(p.47より)

と主張している。この主張について私自身賛成は難しく、もともとある混浴文化の歴史もあれば、親子とのコミュニケーションの観点にて、一緒に風呂に入ることはごく自然なことであると考えている。

第3章「世話を焼きすぎる親たち」
親が子どもに依存をするような状況が深刻であるという。子供が親離れしないというよりも、むしろ親が「子離れしない」ような状況に陥っているという。どんなことがあるのかというと、大学の入学式に両親が出席することや、就活にも首に突っ込むようなことも挙げられる。

第4章「ニッポン「総子ども社会」と教育」
「子ども社会」は別に小さい子どもが多くなったということではなく、精神的に「子ども」になってしまっている大人が多くなった事を取り上げている。しかも教育にしても、社会にしても「子どものため」を念頭に置いているように見えて、実は自分自身のエゴイズムのために利用しており、決して「子どもが主役」になるような教育になっていないという。

第5章「思春期は無謀だ!」
思春期というと心が最も揺れ動く記事であり、なおかつ多くのことについて悩み苦しむ時期である。しかし著者はその時期は「無謀」であり、「疾風怒濤」にあるという。その理由として今の思春期の時期はむしろ心が安定傾向にあることが挙げられている。

親子の仲が良いというのは喜ばしいことなのだが、それが「依存」になってしまうと、むしろ悪影響を及ぼす。本書はそのことに対して警鐘を鳴らしている一冊だが、もちろん「依存」と言う言葉が出るほどし過ぎるのは問題だが、親子のコミュニケーションがある程度親密であれば、私は問題ないと考える。本書の逆をやってもむしろ疎遠になってしまうし、本書のような事になってしまうと双方「親離れ」「子離れ」ができなくなってしまう。ようはバランスが大切ということである。