任務完了―海上自衛官から学校長へ

女性の社会進出が目覚ましいが、その目覚ましいのは別に民間の世界とは限らない。自衛官と呼ばれる世界でも存在する。もちろん現在でも「海上自衛隊の歌姫」と呼ばれる三宅由佳莉氏など、活躍している現役女性自衛官も少なくない。

本書はその女性自衛官の草分け的存在の方を取り上げている。しかし自衛官としての活躍だけではない。退官後、著者は大阪府立学校の学校長に就任したという。

1.「東日本大震災への対応」
2011年3月11日に起こった「東日本大震災」に関連して著者はその前触れの一つだった八戸での地震(3月9日)のこと、そしてその前後で見聞きした青森での津波対策訓練のことについて取り上げている。ほかにも震災に関連して「即応予備自衛官」が初めて招集されたことなどのエピソードも綴られている。

2.「心のふるさと“江田島”」
著者は自衛官の中で「海上自衛官」を選んだ。その理由について中学2年のころの思い出と、著者の父のエピソードの2つがあった。

3.「“女を乗せない戦艦(いくさぶね)”との闘い」
著者が自衛隊候補生を卒業し、配属になったのだが、その時はまだ女性の自衛官が非常に少なく、男女差別が根強くあった時期である。戦艦に乗ることができなかったのもその一つで、女性が練習航海に参加できるようになったのは1995年になってからの話である。

4.「米軍から学んだこと」
自衛官の任務は日本ばかりではなく、海外の軍に「特別研修員」として米軍に行くことになった。その中で米軍の考え方はもちろんのこと、軍人としての処遇の在り方も知ることができたという。

5.「オペレーション分野への挑戦」
著者がオペレーション分野に挑戦をしたのは平成元年の統合演習だった。その中で自分が行ったオペレーション業務とシステムについて綴っている。

6.「英語で苦労したこと」
英語と触れることがあったのは米軍で仕事をすることになった時からだが、その中で苦しんだことについて綴っている。

7.「女性としての悩み」
自衛官として従事していた中で「女性」ならではの悩みもあった。その中に「セクハラ」「パワハラ」もあったのだという。そもそも著者が自衛官になったころ、女性の自衛官がごくわずかだったという。その境遇についても事細かにつづられている。

8.「家族の絆と友人に恵まれて」
著者は自衛官時代に結婚・出産を行ったのだが、その中でのエピソードについて綴っている。自衛官ではあるのだが、一つの家庭人としての素顔がここにある。

9.「リクルートの現場」
自衛官をリクルートすることも著者は行ったという。どのようなことかというと、「地方連絡」として自衛官の募集や広報を業務として行っていたという。

10.「自衛隊をPRすること」
広報としての活躍は地域に根差すような活動を進めていたのだが、本章では「NHKのど自慢」に出演したことも交えてPR活動にフォーカスを当てている。

11.「地域に根ざした活動」
前章でも語ったが地域に根差すような活動を自衛隊でも行われている。ご当地のゆるキャラとのコラボをはじめ、農業・林業・漁業などの第一次産業に対しての取り組み、スポーツや音楽なども挙げられている。

12.「世界に羽ばたく女性たち」
「女性自衛官」の活躍の幅が広がったのは、平成になってからのことであるという。もちろんその時には著者が配属になってからの頃よりも遥かに女性自衛官の数も多く、様々な面で活躍するようになったという。

13.「私の健康法」
なぜ本章にて健康法を取り上げたのかというと、著者が幕僚だった時代の時に、部下が突然死をしたことにあった。そのことがきっかけとなりより一層健康に気を遣うようになったという。「健康」といっても身体だけではなく、心の健康も含まれている。

14.「後輩に残すもの」
本章ではこれから自衛官を目指す方々のために、著者自身がこれまで経験してきたことを踏まえて「心構え」「仕事の流儀」「指揮統率に関する原則」を三本柱に伝授している。

15.「指揮・統率の真髄」
著者は二等海尉の時に婦人自衛官部隊の中隊長として部隊を指揮したことがあるという。その後も様々な部隊を指揮するようになったのだが、そのエピソードともに指揮や統率を行うことについての考え方を提示している。

16.「新たなミッション」
最初にも書いたのだが、自衛官退官後、大阪府立の学校の校長に就任した。なぜ著者は学校長に就任したのか、それは民間人共闘になった人がいたこと、そして教育実習をした経験からでた教育に対する熱い思いがあったからだという。

活躍する女性の強さは強く美しい。しかしその強く美しい裏には、男女差別というハンディがあるのだが、それを乗り越える力も必要であり、並大抵のことではないといえる。その並大抵でないことに挑む女性の方々に向けたエールというべき一冊である。