科学の危機

今年は日本人ノーベル賞受賞者が誕生した。生理学・医学賞に北里大学の大村智特別栄誉教授が、物理学賞に東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授が受賞するなど、日本の科学は進歩した・明るいというポジティブな意見が出る。

ノーベル賞を受賞することは非常に喜ばしいことなのだが、目をそらしてはいけない現状も科学の世界には存在する。本書は「科学の危機」と題して、科学による悪影響と問題を解き明かしている。

第一章「科学の自覚」
本書の表紙をめくったところにこう書いてある。

これは紛れもなく事実であり、「化学兵器の父」と呼ばれたフリッツ・ハーバーのことである(1918年に化学賞受賞)。もっと言うとノーベル賞の創設のきっかけとなったアルフレッド・ノーベルはダイナマイトの開発で巨万の富を得た。晩年には死去に対する誤報(「死の商人、死す」という見出しだった)を目の当たりにしショックを受けたことから、ノーベル賞の創設を遺言で遺した。
本章の話に戻す。本章ではそもそも科学の研究、及び科学者はいかにして誕生したのかを取り上げている。職業人としての科学者が生まれたのは19世紀の前半のことであり、それまでの科学的な考察は専ら哲学者が行っていた。

第二章「科学の変質」
科学の研究はやがて産業に大きくかかわるようになり、20世紀に入ったころには産業から軍事にまで発展するようになった。

第三章「ある科学者の肖像」
本章で取り上げられる科学者は第一章の論評で取り上げたフリッツ・ハーバーである。第一次世界大戦において毒ガス開発で大いに注目された。しかも、

「戦犯の可能性さえあった彼にとって意外だったのは、1918年に指名され、1年後の1919年にノーベル賞を受賞したという事実だ。もちろん、それは毒ガス開発に貢献したからではなく、ハーバー・ボッシュ法の確立の意義を認められてのことだった。戦後、敵国人の多くの人々にとって、彼の毒ガス開発は穢らわしくさえある所業だった。
 スウェーデンの王立科学アカデミーは「だからこそ」という気持ちをもっていたのかもしれない」(p.132より)

ノーベル平和賞でもほぼ毎年のように国際情勢から反発があったものの、化学賞の受賞でもこのように反発や危惧が存在したという。
そもそもハーバーはノーベル賞受賞前後こそ反感・批判にさらされながらも順風満帆の人生を送っていたのだが、やがてさらされるものが「時代」になってから、1934年に亡くなるまで大いに振り回された人生を送った。

第四章「科学批判の諸相」
天才的な科学者でも戦争の道具として駆り出されることがあった。相対性理論を生み出したアルベルト・アインシュタインは、亡命先のアメリカにて原子力の研究を行っていたが、それが原子爆弾の開発に使われ、広島・長崎に甚大な被害を与える要因を作ってしまった。

第五章「科学の文化的批判に向けて」
科学への批判の中には、文化・倫理・社会など数多くの学問から批判を受けることが多い。そもそもその批判が展開され始めたのは1980年代の時からであるがどのような批判を展開してきたのか、日本・海外とで考察を行っている。

本書は科学そのものを批判するというよりも、科学の進歩の中でも危険なところを批判するという、いわゆる「科学批判学」の学問を解き明かしている。もちろん今ある科学には、人類の発展に役立つものもあれば、人類を破滅に導くようなものもある。特に後者に対して批判を行うために考察を行う学問が「科学批判学」であるという。