魔女狩り―西欧の三つの近代化

中世~近世にかけて西欧を中心に横行した「魔女狩り」。18世紀あたりに科学の進化と魔女観・宗教観の変化により一気に衰退し、魔女狩りの概念がほとんど無くなり、完全に無くなったのは戦後間もない1951年、イギリスで「魔法行為禁止法」が廃止されたこと、1983年にアイルランドで「妖術行為禁止令」が廃止されたことにある。

今となってはなくなった魔女狩りだが、そもそもなぜそれが起こったのか、そして歴史の中でどのような影響を与えたのかを本書にて追っている。

第一章「異端から魔女へ―中世末」
そもそも「魔女狩り」「魔女裁判」が形成づけられたのは中世末、15世紀前半のことである。当時は妖術を使うものが多く見かけられ、魔女信仰もあったという。それ以前にも魔女は存在しており、歴史の裏で暗躍したともいう。その歴史の中で魔女が裁判にかけられるケースもあったのだが、多くはキリスト教に逆らった「異端審問」にかけられ、刑罰を受けることもあった。

第二章「「魔女熱狂」時代前夜―十五世紀」
魔女狩りが積極的に行われ始めたのは15世紀に入ってからのことである。その時には異端審問官が積極的に魔女をはじめとした呪術師が裁判にかかるようになった。また国によってはきちんとした司法手続きを行ってから執行するところもあったという。その証拠となったのが、1487年に当時の異端審問官ハインリヒ・クラ―マーによって上梓された「魔女の槌」がある。

第三章「バロック時代の中の魔女裁判―十六~十七世紀」
それから魔女狩りの最盛期になっていったのだが、よく言われているのが民衆の「密告」により、裁判にかけられ、次々と処刑される陰湿な時代のイメージがあった。もちろん密告の後、すぐに裁判をかけられず、取り調べを行う。しかしその取り調べは指を締め上げたり、釘を刺したりといった残忍な手段で行われるケースもあった。

第四章「魔女裁判時代の終焉と西欧近代の始まり―十七世紀後半」
魔女狩りは17世紀後半に入ると急速に衰退していった。その理由として知識階級の魔女間の変化、そしてキリスト教におけるカトリック・プロテスタントの分割化などが挙げられている。そのこともあって、国によっては魔女狩りを象徴するような法律が次々と廃止していった。

魔女狩りは中世~近世ヨーロッパの歴史において、もっとも重要な出来事の一つとして挙げられているのだが、それについての議論は絶えない。もちろん本書もまた現在進行形で議論されているのだが、その途中経過を本書にて表しているといえる。