健康優良児とその時代―健康というメディア・イベント

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健康優良児とは、

「身長・体重が平均以上で、学習成績・運動能力共に優れ、性格明朗な青少年として、朝日新聞社・文部省・都道府県教育委員会の合同で表彰された者を指す」Wikipediaより)

とある。情報源によると戦前から行われており、毎年文化の日に表彰されたのだが、批判が高まったことにより1996年に完全廃止となってしまった。

制度自体、廃止はされたものの、健康を目指そうとする風潮は子供から大人まで幅広くあるが、そもそも「健康優良児」はなぜ生まれ、続いたのかというのが疑問に思ってしまう。その疑問について解き明かしているのが本書である。

第1部「健康優良児表彰事業の歴史」
第1章「健康優良児表彰の概要」
「健康優良児」としてイメージするのが「体力」「健康」が平均以上というものだが、それだけではなく「学力」もまた指標として扱われた。そもそもなぜ「健康優良児」が生まれたのかというと、1920年代から健康増進運動などが始まり、現在も続いている「ラジオ体操」が生まれ、健康増進に関する風潮が生まれ、その健康の指標として、優良児を表彰するために、朝日新聞社が1930年に「健康優良児表彰」を設立した。

第2章「メディアが語る健康な子ども」
そもそも「健康優良児」や本賞のタイトルにある「健康な子ども」とはどのような定義をしていたのか本賞では「健康優良児表彰」を設立した朝日新聞社としての定義を中心に取り上げられている。その定義を見てみると、戦前・戦後とで変化があり、なおかつ戦後間もないときから高度経済成長期にかけても変化がある。特に戦前の場合は徴兵の側面もあったことから体力面がフォーカスされ、それがだんだんと「学力」に重きを置くようになっていった。

第2部「健康優良児の語りにおけるポリティクス」
第3章「優良児へのまなざしと都市の欲望」
ちなみに「健康優良児表彰」は一度中断していた。理由は第二次世界大戦、及び大東亜戦争によるものだった。復活したのは1949年のことである。第2章において言及されていなかったのだが、高度経済成長期は学力、戦前は体力を重視していた。しかし戦後間もないときは、どのようなことに重きを置いていたのかというと、当時は「食糧危機」に直面しており、直結して「健康問題」もあった。その健康問題を解決するため、さらには当時のWHO(世界保健機関)の方針もくみ取って肉体的・精神的に健全であることを基準にして「健康優良児」を選んでいた。

第4章「高度成長期における健康優良児表彰事業」
高度経済成長期における「健康優良児」というと前述にて学力に重きを置いたと書いたのだが、それだけではない。健康優良児が世界に羽ばたくように「こども大使」や「こどもの国全国会議」と呼ばれるものが誕生したのもこの時期である。

第5章「健康優良学校と日本の戦後」
また、健康優良児だけではなく、その優良児たちのいる学校を「健康優良学校」として指定するケースもあった。これは新聞の特集記事として取り上げられたことから来ている。それができた背景として「東京オリンピック」と当時起こった「体力問題」が挙げられる。

最初にも書いたように「健康優良児」を表彰する制度は廃止したものの、健康と教育という観点から、「なぜ健康優良児表彰制度が生まれ、栄えたのか?」ということを考察していったのが本書と言える。その背景には、戦争にしてもオリンピックにしても、当時の時代背景が存在しており、その背景は「子どもの健康」の見方の変化とリンクして言っているように思えてならない。

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