手塚治虫―知られざる天才の苦悩

LINEで送る
LinkedIn にシェア
[`evernote` not found]

現在「ヤング ブラック・ジャック」というアニメが放映されているのだが、その原作者は手塚治虫氏(以下:手塚氏)である。言うまでもなく「ブラック・ジャック」こと間黒男がどのような「過去」だったのかというエピソードを描いている。ほかにも手塚氏は戦後最初のヒット作となる「新宝島」をはじめ「鉄腕アトム」「火の鳥」「リボンの騎士」など数多くの作品を残し、戦後マンガ界の礎を築いていった。またアニメの世界でも「鉄腕アトム」が放映されるなど、アニメの世界でも草分け的存在になっていった。その手塚氏はなぜマンガの世界に入り、作品を生み出していったのか、手塚氏の息子である著者がそれを明かしている。

第一章「マンガの世界へ」
手塚氏がマンガの世界に入ったのは諸説ある。しかし売れっ子の道を歩みだしたのは、共著ではあるが昭和21年に出版された「新宝島」であった。その前、いわゆる戦前にもマンガを描いていたのだが、本格的に「マンガ家」としての世界を歩み始めたというと、著者も、

「手塚治虫がいつからマンガ家という自覚を持っていたか特定するのはかなり難しいのです」(p.28より)

と主張している。売れ行きの定義としては先述の「新宝島」となるのだが、「自覚」という点では、手塚氏本人にしかわからない。

第二章「手塚ワールドの道具立て」
「手塚ワールド」というとキャラクターのデザイン、物語の舞台、ストーリー構成と言ったところに散りばめられている。もちろんそれらは読者に強烈な印象を与えるだけではなく、読んでいくうちに「手塚ワールド」にハマり、独特の世界を体験するようになり、さらに別の手塚作品を読んでいけるようなものである。またほかにも「子供マンガ」という括りから「タブー」に挑戦する傾向があったという。確かに私も「火の鳥」や「リボンの騎士」を読んでいると、その「タブー」に挑戦したことについて理解できる。

第三章「マンガマンダラ」
手塚氏は前章で取り上げた「タブー」も含め、ありとあらゆる挑戦をした漫画を発表してきた。しかしそれとともに「有害」「悪書」というような批判にさらさ荒れ多こともあり、手塚氏はそれについて反論し続けたという。
また手塚氏は、多くの弟子を育てた、というよりもアシスタントを持ったという。有名どころでは藤子不二雄(藤子不二雄Ⓐと藤子・F・不二雄)や石ノ森章太郎がいる。

第四章「アニメは動く」
日本で初めてテレビアニメが放映されたのは1963年の「鉄腕アトム」である。その鉄腕アトムがいかにしてできたのか、原作者として手塚氏はどのようなこだわりを持ったのか、そのことについて取り上げている。

第五章「作品散歩」
手塚氏の代表作は数え切れない。冒頭にも取り上げているほかにも「マグマ大使」「どろろ」「ブッダ」「三つ目がとおる」「アドルフに告ぐ」などが挙げられる。それらの作品はどのような経緯で出来上がったのか、本書はそれについて手塚氏の代表作を中心に取り上げている。

第六章「天才という人間」
手塚氏はよく「マンガの神様」「日本マンガ界の父」「天才」という呼ばれ方をする。その中で「天才」はよく言われるのだが、そもそも著者はなぜ「天才」になりえたのか、本章ではそれについて手塚氏の証言をふんだんに盛り込みながら説明している。

戦後マンガ界の基礎を築き、後世のマンガ家、そしてマンガに大きな影響を与えた「天才」手塚治虫氏は逝去して26年経った現在でも誰の心にも残っている。そして冒頭でも述べた通り、「ヤング ブラック・ジャック」が現在も放映されており、今もなお手塚作品はファンの心をつかみ続けている。

スポンサーリンク