東京裁判―フランス人判事の無罪論

大東亜戦争、および第二次世界大戦が終結してちょうど70年を迎えた。その終戦後、東京では、市ヶ谷にて極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われ、多くの戦犯が裁かれた。特に東条英機をはじめとした7人のA級戦犯が死刑判決を受けた。その裁判の中でラダ・ビノード・パールは全員無罪の個別の判決文を出し、ベルト・レーリンクは何人かの戦犯を無罪にする判決文を出した。さらに無罪や減刑に関する個別の判決文を出した判事がもう一人いる。その人はフランス人判事、アンリ・ベルナールである。ベルナール判事は裁判における手続きの面で多くの不備があり、裁判として有効とは言えないことを指摘し独自の判決文を出した。本書はそのベルナール判事がどのように戦争犯罪と戦争法を指摘し、判決文に記したのか、そしてなぜベルナールは「忘れられた判事」と言われたのか、そのことについて取り上げている。

第一章「忘れられたフランス人判事」
元々東京裁判の判決の多くは、いわゆる「7人組」と呼ばれる共同謀議によって判決がなされていた(判事は全員で11人)。その「7人組」の中にはパール判事・レーリンク判事、さらには裁判長であるウィリアム・ウェブも外されていた。そして外されていた最後の一人がベルナール判事である。その外された判事は全員、独自の判決文を出したことは冒頭にも述べたのだが、そもそもの判決文は1000ページを超すパール判事、300ページを超すレーリンク判事の判決文よりもずっと分量が少なく、なおかつ長らく自宅に眠っていたので公表されることが遅かった。そのことから「忘れられる」所以となった。

第二章「「神の法」とは何か」
法治国家である国は法律が絶対的な存在である。そのことから法律を遵守し、その下に裁くことについてベルナール判事の見解について取り上げている。

第三章「正しい戦争、不正な戦争」
戦争に「正しい」「正しくない」はあるのかというと非常に難しい。とはいえそういった定義をなされるのは国際的に基づかれた戦争における条約や法の手続きによってなされているかどうかを定義している。しかし東京裁判では法の原則では絶対にあってはならない「事後法」が次々とつくられ、適用されたことが挙げられる(法の不遡及)。

第四章「判定は正当なものではあり得ない」
そもそも東京裁判は正当なものなのかというと必ずしもそうではない。もっとも連合国側のことについては供述・証拠ではいくつか挙げられたのだが(有名なものとしてベン・ブルース・ブレイクニー弁護士の供述がある)、それらは全て採用されず、中には弁護士を解任させられた人もいたという。ちなみに本章のタイトルの主張は第一章の中で「手続き」の面で多くの欠陥があったことからそう断じたという。

アンリ・ベルナールは法の手続きや自然法について真っ向から分析し、判決文を作成した。7人組によってつくられた判決文に対する強い反対姿勢を見せていたものの、パール判事やレーリンク判事とは違って、日本にも非があったこと、そして第一章でも書いたとおり、判決文としては短く、なおかつ公表されるまで遅かったことから「忘れられた」存在になった。