ヘーゲルとその時代

ドイツを代表する哲学者の一人としてヘーゲルがいる。そのヘーゲルが生きた時代は、だいたい18世紀後半から19世紀前半、「活躍した」という面では19世紀に入ってからのことである。この19世紀に入った頃、ドイツはどのような状況なのか、そしてそれが「精神現象学」や「法哲学綱要」などの著作を生み出していったのか、それについて考察を行っている。

第1章「フランス革命と若きヘーゲル」
1789年~1795年に起こったフランス革命は、ドイツには無縁のように思えるのだが、へーゲルにとっては歓迎したのだが、その時に出てきたルソーの思想や神学の思想について批判をしたという。特に後者はドイツの哲学でもスタンダードなものだったのだが、ヘーゲルはそれを良しとしなかった。

第2章「帝国の崩壊と『精神現象学』」
「帝国」というと、かつて存在した「ドイツ帝国」ことを指しているが、ドイツ帝国の崩壊・再建について、引き合いに「神聖ローマ帝国」も言及しているため、本章ではタイトルが「帝国」となっている。ヘーゲルはそのドイツ帝国の成り行きについても哲学的に紐解いているのだが、それと同時期に「精神現象学」という新しい学問についても唱えていた。

第3章「新秩序ドイツと『法哲学綱要』」
ナポレオン占領期だったドイツ(プロイセン)は新しい秩序を構築する必要があった。その時のヘーゲルは新聞の編集者の仕事をやっていた。後にナポレオンが没落した後には、大学教授となり、憲法論争にも参加したほどである。その方の論争の中でできたのが「法哲学綱要」である。

第4章「プロイセン国家と『歴史哲学講義』」
法哲学をもとに立憲国家の道を歩もうとしたのも束の間、弾圧により復古時代に入ることとなった。前章で取り上げた「法哲学綱要」も復古主義の片棒を担いだのではという批判が相次いだ。その時のヘーゲルはベルリン大学で論理学や自然哲学など、哲学を軸に様々な学問の講義を行っていた。その中の一つである「歴史哲学」が講義録として生まれたという。本書はそのヘーゲルの「歴史哲学講義」の内容も併せて取り上げている。

近世ヨーロッパを代表する哲学者の一人であるヘーゲルが成立した代表的な哲学書はいかにして生まれたのかがよくわかる。その生まれたルーツにはヘーゲルが生まれ・育ったドイツ(プロイセン)の状況が色濃く映し出されている。その背景がよくわかる一冊が本書といえる。