イエスはなぜわがままなのか

私が保育園時代の時、毎月のように礼拝が行われており、その中で新約聖書の一部の朗読を聞いたり、毎日の食事などで「アーメン」をしたりすることがあったことを思い出す。その後あまり新約聖書を読む機会は減ってきたのだが、最近になって聖書がビジネスに効果があると言うことから、少しではあるが読むようになった。

本書はそういった聖書を元に、人生にとって役立つことではなく、「本当のところイエスはワガママだった」と言うことを暴露している。しかもその暴露をしている方はフェリス女学院の学院長でキリスト教の誕生を始めとした古代や中世のヨーロッパの哲学を研究してきた方である。

第1章「イエス様、それは理不尽すぎませんか?」
新約聖書は読んだことはあるものの、細かい話に関してはあまり覚えていない。とは言え覚えているものはけっこう人生にとって、ビジネスにとってプラスなことがあるのだが、本章で取り上げられているエピソードというと、

・空腹のあまりイチジクの木を呪って枯らす(p.16より)
・動物を鞭でたたき出し、市場をめちゃくちゃにする(p.58より)

と文字にするだけでも衝撃的な内容のものが挙げられている。

第2章「言葉が招く、聖書への大いなる誤解」
言葉は言葉通りに伝えることができれば良いのだが、ものの見方によって誤解を生み出してしまうことは度々ある。それは「言葉」がある以上、そう言う誤解は完全に無くなることはない(もちろん回避できる方法はあるのだが、ここでは割愛する)。それは聖書でも例外ではない。本章では「罪」や「悪」、「祈り」や「真実」などの誤解について指摘している。

第3章「「信じる」という感覚」
宗教というと「信仰心」が大事であるため「信じる」ことは肝心な要素であるのだが、その信じるのはなぜなのか、信仰や哲学の観点などから本章にて紐解いている。

聖書にしても解釈によっては時として恐ろしいものになる。もちろんそれは聖書に限らないことであるのだが、ちょっと読んだくらい、あるいはあらすじしか分からない方にとっては、本書の第1章の内容はかなりショッキングである。正直私も聖書は何度か読んだことはあるものの、それほど深く読んでいなかったため、本書でもって衝撃を受けた。そう言う意味では本書は聖書をあまり読んだことのない方、あるいは少ししか読んだことのない方にとっては面白い一冊と言える。