テキヤはどこからやってくるのか?―露店商いの近現代を辿る

「テキヤ(的屋)」とは、

「祭礼時の寺社の境内や参道、また各地方の祭りの際に、簡易の屋台を出して食品や玩具などを売る商人のこと。的屋の他に香具師(やし)・街商・大道商人・露店商といった呼び方もある。的屋が取り扱った物は金魚すくい、綿菓子、リンゴ飴、お面などが主であったが、時代とともにクジによる景品交換やゲーム性の強いものが増えている」「日本語俗語辞書」より)

とある。「テキヤ」と聞くとどこかアウトローの方々がやっているのではないかと邪推してしまうのだが、お祭りとなると、「縁日」と言った露店があるのだが、それらのことを「テキヤ」と指している。お祭りの時期ではなくても、私の住んでいる鎌倉、その中でも有名な神社である鶴岡八幡宮は2~3店ほど毎日のように出ている。
しかしこのテキヤはいったいどのような形でできはじめ、そして私たちの生活の中に浸透していったのか、本書はそのテキヤ・露店商の歴史について紐解いている。

第一章「露店商いの地域性」
テキヤ・露店商は地域によって異なると言うのだが、私自身は北海道と東京、神奈川しか分からないので、それだけでも違いが少しは分かるのだが、それ以外の地域でもテキヤの違いがあるのだという。その中で大分して「北海道・東日本」「西日本」「沖縄」の3つに分かれ、それぞれでテキヤが行う販売のあり方、さらには露店の配置について異なると言う。

第二章「近世の露店商」
そもそも露店商はいつ頃から生まれたのだろうか。そのことについて古くは平安時代の「猿楽(さるがく)」があるのだが、これはテキヤや露店商と言うよりも舞台の要素が強い。現在のような露店商ができたのは江戸時代のことであり、香具師(やし)や的屋(まとや)などが存在した。その中でも本章では香具師にフォーカスを当てている。

第三章「近代化と露店―明治から第二次世界大戦まで」
江戸時代から明治時代にかけて露店商はあったが、このときの露店商は祭事限定で開かれた存在ではなく、日常的に開かれている、いわゆる「露店」のと呼ばれる店が中心だった。その露店の商人達はどのようにして商売したのか、その方々が発した隠語とはなにか、そのことについて取り上げている。

第四章「第二次世界大戦後の混乱と露店商―敗戦後の混乱期」
大東亜戦争を含めた第二次世界大戦が終焉した後に出てきたのが「闇市」である。「闇市」は闇ルートと言われる所から仕入れてきたものを売る市場のことを表しているが、主に東京の都市部にて行われたという。戦後間もない日本では経済的にも困窮しており、GHQの指令により様々な制約が行われた中でなぜ「闇市」ができたのか、そのことについて考察を行っている。

第五章「露店商いをめぐる世相解説―1960年代以降」
戦後の露店商は最初にも書いたお祭りのテキヤもあれば、ラーメン屋やおでん屋など飲食の露店もある。昭和の頃には当たり前に存在し、現在はなくなったのかと思いきや、今もなおわずかではあるが存在する。そういった露店商、さらにはテキヤの実態について分析を行っている。

年末年始でも神社では初詣があり、その初詣にあわせて多くの露店が立ち並んだところもあった。例大祭のお祭りと同じく多いために、そういった店がどのようにできたのか考えてみたら、本書に出会った。最初に書いたようにテキヤはアウトローのイメージがあるのだが、実際には私たちの生活の中にある存在であり、なおかつ「お祭り」という非日常の空間の中にもある。そのテキヤがどのようにでき、なおかつどのような存在なのかそのことについて知ることができる。