瞽女うた

瞽女(ごぜ)とは、

「盲目の門付(かどづけ)女芸人。鼓・琵琶などを用いて語り物を語ったが,江戸時代以降,三味線の弾き語りをするようになった」「大辞林 第三版」より)

とある。最近では全くと言ってもいいほど存在しなくなったのだが、かつては新潟県をはじめとした越後地方を中心に全国的に存在したという。そもそも瞽女はいつごろから誕生し、生活の中で浸透していき、衰退していったのか。また瞽女の存在は文化に対してどのような影響を与えたのか、本書はそのことについて取り上げている。

第一章「瞽女の時代―宿命から職業芸人へ」
「瞽女」の存在は「日本霊異記」の中で奈良時代の頃からあったという。そのことを踏まえると瞽女の歴史は1000年以上にも及んでいたと言われている。その後も平安・鎌倉・室町と時代を経て瞽女は存在している資料があり、その役割も元々瞽女である「宿命」の存在から、自らの意思で瞽女になる「職業芸人」としての存在にまでなった。

第二章「近世旅芸人と瞽女」
旅芸人は江戸時代などの近世の時にはいたのだが、瞽女もまた「旅芸人」として成り立っていた。しかし瞽女は、現在の差別用語である「目暗(めくら)」と言われて罵られることもあったのだが、都会などでは「家元制度」の恩恵もあり、瞽女によっては恵まれたり、蔑まれたりする場合があるなど差があった。

第三章「瞽女を支えた社会」
都会の瞽女は「家元」の制度によって食い扶持を持っていたのだが、地方の瞽女はどうだったのかというと、藩や武家などからの祝儀が中心だった。その瞽女たちがどのような所を働き場としたのかというと、

「幕府、諸藩、武家などから婚礼、初産、元服(げんぷく:男子が成人に達したことを示すための儀式)、家督相続、法事など」(p.94より)

と今で言う所の冠婚葬祭業の一つだったと言える。ここから見るとけっこう瞽女は恵まれているように見えるのだが、実際には他にも食い扶持をつなぐ必要があり、それでもって藩や幕府に頼る場合が多かった。特に地方はそれが顕著であったという。

第四章「瞽女は何を歌っていたか―音楽文化の流行と流通」
最初に書いた瞽女の仕事として「三味線の弾き語り」や「鼓・琵琶」と言ったものがある。いわゆる「音曲」を提供するのが仕事だったのだが、その音曲が日本における音楽文化に対し、どのように寄与していったのか、そのことについて取り上げている。

第五章「越後の瞽女歌―節回し・三味線・物語」
最も瞽女の多かった越後ではどのような歌・節回し・三味線があったのか、その今昔についてフレーズなど細かく取り上げている。

今こそ瞽女は滅多に見られない、もしかしたらいないのかも知れない。しかし瞽女は1000年以上にわたる歴史の中に存在しており、それが音楽などのエンターテインメントや社会に影響を受けたことは間違いない。それらの歴史の中にある瞽女を知ることによって歴史の一端を知ることができる。本書はそのことを証明づけた一冊である。