玄奘三蔵、シルクロードを行く

「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」の本来の名前は玄奘であり、三蔵は尊称の一つとして挙げられている。西遊記で取り上げられている「三蔵法師」は玄奘三蔵がモデルになっている。玄奘はシルクロードを通り、東西の宗教・言語を交わった国々の中でどのような度をしたのか、本書はそのたびの目的と過程を取り上げている。

第一章「不東の旅立ち」
玄奘は中国大陸における唐王朝の初期である7世紀に生きた訳経僧(やっきょうそう:経典の翻訳に従事する僧侶)である。とはいえ生まれたのは隋王朝末期であり、10歳の時から浄土寺に出家し、仏教を学び始め、「法華経」など多くの経典を誦すようになっていった。やがて隋が亡ぶなどの激動の最中、先人と仏教の原典を求めて不東の旅立ちを志すことになったが、その時に新しく成立した唐王朝の許可を得ることができず国禁を犯すという大きなリスクのもと旅立つこととなった。

第二章「異文化の香り高い西城」
先人の教えと仏教の原典を求めて長安から西へと旅立った。黄金と絹を携えての旅立ち出会ったのだが、それに際し、熱心な仏教徒から金銭面での援助を受けたという。ちなみに本章で取り上げられている旅は長安からタクラマカン砂漠の辺りまでの所である。

第三章「シルクロードの十字路ソグディアナ」
旅はまだ続き、今度はタクラマカン砂漠から現在で言う所のアフガニスタンの辺りまでが取り上げられている。シルクロードの中では天山山脈の南麓を通る、いわゆる「天山南路」を通っているのだという。

第四章「古代バクトリアゆかりの国ぐに」
ここからは主に今で言う所の中東諸国が旅の中心となる。前章もあるのだが、旅の最中では大学に入り、そこでも仏教を学んだ。他にも各地の仏跡にも赴き巡拝したという。

第五章「仏教文化の聖地」
アフガニスタンには現在「危険遺産」の世界遺産に登録されている「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」がある。その中には大仏もあり、本章でも玄奘が赴いたことを言及している。
第六章「果てしなき道」
そのバーミヤンから先のベグラムを経由してランパーカ、ナガラハーラへと赴いた所を記している。そこで霊を鎮める悟りと仏の似姿を求める旅についてが中心となる。ちなみに本書で取り上げられているほかにもガンダーラ巡拝もあるという。

玄奘が仏教の原典や先人の教えを求めてシルクロードを伝った旅は17年にも及んでいた。旅の当初は唐王朝の成立仕立ての不安定な時代であり、国禁を犯しての旅だったが、国が安定したせいか不問とされ、旅の記録と教えの数々を「大唐西域記」などにして残した。この17年間の旅は中国大陸における唐王朝の仏教文化の繁栄の中で重要な要素があることを本書でもって示している。