新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか

「ナショナリズム」はいわゆる「民族主義」のことであり、政治などの現代思想の中でもよく言われている。略語としても「ナショ」という風に呼ばれることもある。そもそもそのナショナリズムというと「愛国心」と共に語られることが多いのだが、そもそも国愛することと、「ナショナリズム」は別個として考える必要がある。この「ナショナリズム」は「悪」と定義づけられているようだが、それはなぜなのか、そして今日の経済状況はナショナリズムにどのような影響を与えたのか、本書はそのことについて取り上げている。

第一章「ナショナリズム批判の限界―格差問題をめぐって」
本章における問いの一つとして「ナショナリズム批判は格差批判とは両立するか」がある。これについて言うと、そもそも批判する分野が異なっている。「ナショナリズム」は政治や社会思想であり、格差批判は経済思想である。とは言えど共通している部分があるとするならば「経済」にしても「政治」にしても「社会」に包含されること、そしてその社会に対する批判の中で「ナショナリズム」と「格差」が挙げられることから共通している部分があるという。他にも共通している点で言えば昨今話題となっている「移民労働者の増加」をどうするか、そしてそれに類する「労働市場のグローバル化」が挙げられる。本章ではその2つの批判の共通点について考察を行っている。

第二章「ナショナリズムとはどのような問題なのか?」
そもそも「ナショナリズム」の何が問題なのか。そこには「民族」と言うのがあり、「人種差別」が出てくる。日本では長らく、そういった差別は起こったことがなかったのだが、最近になって「単一民族」の発言や、「ヘイトスピーチ」などがあるように、日本でも「ナショナリズム」の考え方をする人が出てきている。それも踏まえて本章ではそもそも「ナショナリズム」とはどのようなものか、そしてどういった問題なのか、そのことについて取り上げている。

第三章「国家をなくすことはできるか?―国家を否定する運動がナショナリズムに近づくという逆説」
「ナショナリズム=国家」という構図ができるのかどうかは分からないのだが、本章では「反ナショナリズムは国家の否定に向かう(p.96より)とある。もちろん国家は一つ国や民族の集団の中でつくられるものである。しかしその国家の批判をする、否定をする際に必ずと言っても良いほど「ナショナリズム批判」とイコールにはならない。その中には「無政府主義者」といったものもいれば、そもそもその国家が気に入らないだけという人もいる。本章では国家のなくすことに対して、国家廃棄や暴力に対する対抗とともに論じている。

第四章「私たちはナショナリズムに何を負っているのか?」
第三章から取り上げている「暴力」はいわゆる「軍隊」といった軍事的なものを挙げている。もちろんそう定義づけることについて批判はあるのだが、それについては本書で取り上げるものではないためここでは割愛する。
そのナショナリズムを負っているものとして本章では産業化、資本主義などの観点から考察を行っている。

そもそも「ナショナリズム」はどのような役割を持ち、どのように批判する必要があるのか、それは政治的な観点からもそうだが、国家論的な観点からでも考察を行う必要があるため、一筋縄ではいかない。とはいえどそのナショナリズムの本質を読み解くことによってこれからの国家のあり方を考えることができる一冊である。