ワールドプロレスリングの時代―金曜夜8時のワンダーランド

「戦いのワンダーランド」と言う言葉は80年代当時、新日本プロレスの実況を勤めていた古舘伊知郎から発した言葉である。この言葉がワールドプロレスリングという番組を印象づけ、サブタイトルにある「ワンダーランド」とも銘するようになった。今も「ワールドプロレスリング」は放送されているのだが、毎週土曜深夜に放送枠が移動となっている。しかし以前は金曜のゴールデンタイムに放送されるほど、人気を博していたのだが、その時代のワールドプロレスリングはどうだったのか、そのことについて当時のディレクターと共に取り上げている。

第1章「「ワールドプロレスリング」前史」
元々プロレス中継は行われていたのだが、その時は日本プロレス、そしてその後継団体となった全日本プロレスの中継が行われた。くしくも金曜夜8時に中継されていた。しかし新日本プロレスが中継し始めたのは単発では1972年の10月に行われたのだが、レギュラー放送が始まったのは、その半年後の1973年4月のことである。
余談であるが「ワールドプロレスリング」というタイトルの放送は「新日本としては」前述のとおり、1973年4月だったが、それ以前にも1969年から同名の番組がスタートしている。その時は日本プロレスの中継が行われた。

第2章「1980年 見えない映像」
著者の一人である岡田氏は1980年に「ワールドプロレスリング」の担当ディレクターとなった。そのため話は1980年からのスタートとなっている。元々岡田氏はプロレス番組を担当したかったというのだが、ついにその念願がかなったという。

第3章「1981年 虎の時代」
言うまでもなく「タイガーマスク」であるが、元々は漫画・アニメとしてその姿はあったのだが、新日本のマットに登場したのがちょうど1981年の時である。奇遇かもしれないが、それと同じ時期に「タイガーマスク二世」がテレビアニメとして放映されたことから、タイガーマスクの熱は一気に高まっていった。

第4章「1982年 熱い実況」
「熱い実況」といえば、ワールドプロレスリングで長らく実況し、数々の明言を生み出した古館伊知郎氏である。その古館氏がなぜ実況として起用されたのか、その裏話について取り上げている。また、本章ではこの年に起こった有名な「かませ犬事件」を挙げている。

第5章「1983年 雨乞いの儀式」
本章の中で最も印象に残る「事件」と言うと、第1回IWGP決勝リーグの決勝戦にハルク・ホーガンとアントニオ猪木が戦った際、ホーガンの必殺技であるアックス・ボンバーを猪木に放ち、猪木が舌を出して失神したという事件である。その失神しKOとなった。それで全試合終了となったのだが、それでも帰らない観客の姿について実況の古舘伊知郎は「雨乞いの儀式」というフレーズを使って語ったという。

第6章「1984年 視聴率戦争」
ゴールデンタイムにプロレスが放送されると言うことは常々視聴率戦争にさらされることと同義である。しかしその戦争に勝ち続けたのは、インパクトの残る試合を続けたことが挙げられる。またこの当時は野球中継も人気だったのだが、雨天中止の際の後釜、というか「雨傘」的な役割も果たしていた。

実は本日2月19日は「プロレスの日」と呼ばれている。これは1954年の2月19日に力道山・木村政彦とシャープ兄弟との戦いが日本で初めてプロレスの本格的な国際試合となり、さらに日本で初めてプロレス中継が行われた日である。それから国際試合は数多く行われ、地上波放送もされていった。今となっては地上波こそ、それ程放送されていないのだが、ニコニコ生放送やUstreamなどの動画配信サイトで試合の模様が放送されるようになってきた。もちろんプロレスが衰退している声はあるものの、様々な変化をしながらプロレスの文化は栄えている。本書はその栄えている文化の中でも新日本プロレスが「金曜夜8時」だった時代のはじまりを取り上げているに過ぎないが、この時代と今の違いを見比べるための格好の材料となる。